丸いわくのやうにできたもので、これをはいてゐますと、どんな新雪の上でも足が埋まらないのです。かういふ仕度で一日に三里ぐらゐの山道を歩きまはり、野兎や狐などとりました。熊にでも出逢つたらと、お母さまのお手紙にはございましたけれど、夫はむしろそれを待つてゐるやうす、男の人は強いものでございます。十年ほどまへ、まだこの開墾地に入つて間もないころ、一年に三頭も撃つたことがございますさうで、いちど熊の肉を食べさせてやりたいなど、私が怖がりますので面白がつて浩造さまとからかふのでございます。一度、これが熊の足跡だと教へられましたが、もううつすりと雪がかくしかけた古いもので、ちようど夫の掌の形ぐらゐ、大して大きい熊ではないともうしてをりました。私にもこのごろはやつと兎と狐の足跡のみ分けがつくやうになりました。面白いのでございますよ、狐はちやんとしつぽのあとを、すいすいと雪の上に残してをりますの。
 春になると、すぐ畑仕事にかゝるやう今のうちから体をきたへておかなければいけないともうし、毎日かゝさず二里三里の雪道を歩かせられました。私も夫のいふことよく分りますので、いつしようけんめいです。町場からきたものは、やはりものゝ役にはたゝぬともうされては、恥かしいことでございますもの。それにこれからこの農場の主婦の役をいたしますのには、どのやうな畑のすみずみ、作物のこと、馬のこと、なんでも知つておかねばならず、第一鍬の持ちかたからして知らない私は、よほど本気にならねば一人前の百姓にはなれぬと、せいぜい今のうちから心がけてをります。それにおまきさまのお産もまぢかになり、赤さんが出来ましたらなにもかも、この家のこと、今度は私が代つてさしづいたすやうもうされてをりますので、そのことものみこまなければなりません。こゝは小田原での暮しのやうに、ちまぢまと小ぎれいにといふわけにはまいりません。三升だきの鉄のお釜は、なれぬうちはなかなか持ちあがりませんでした。小田原の家の一升五合だきの銅のお釜をいつもきれいに磨きたてゝおいたこと思ひ出します。それから、十四の春でしたかあの銅の釜を三和土の上におとして、へこましてしまひ、泣きながら火吹竹でたゝいてなほしてゐるところお兄さまにみつかつて笑はれたことなど思ひ出します。こゝのお釜なら、落したくらゐではびくともいたすものではございません。あのころはまだ私、矢倉沢か
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