そのまゝにかたよつてちよつと漢詩みたいなのでございますの、こんどご披露いたしませうね。ではけふはこれだけ、おからだくれぐれもご大切にあそばして下さいませ。
四月十八日[#地から1字上げ]ちよ
母上さま
たいそう忙しい毎日なのでゆつくりお手紙さしあげるひまもなく、気にかゝりながらごぶさたしました。お兄さまお具合お悪い由、こまりました。せつかくの学業も中途でお止しにならねばならぬこと、私も残念でたまりません。でも、こゝ一二年のご静養でよくおなりあそばせば、今度こそ思ひきつて、支那にでも南洋にでもいらつしやるのですから、いまのうちあせらずすつかりおなほしになつていたゞきたうございます。
もうあと一年といふところで、ほんとに惜しうはございますが、もう相当に支那についてのご勉強もおできになつていらつしやるのですもの、あとはなによりお体が大切、丈夫な体でなければ、なにひとつ初心を貫くこと出来ぬものと、しみじみこの頃は考へてをります。私もおかげさまで丈夫なのがなによりのとり得。小柄で弱々しげに見えるくせに、案外働けると、夫はじめ皆さまに驚かれてをります。なれぬ百姓仕事は、初めの半月ほどこそ、くたくたになりこんなことでつゞくかしらと、吾ながらあやぶみ、かなしくなりましたけれど、唇をかみしめてこらへてをりますうち、体も馴れ、ようりようも覚え、この頃ではさほど苦しいとも思はず、いまではどうやら二頭曳のプラオのハンドルを持てるところまでこぎつけました。ほんとにはじめのうちは、夜になると、からだぢうすきまもなしに骨までたゝかれたやうで、とても明日の朝は起きあがれまいとあやぶみました。もちろん朝になつてはいつそう苦しいのでしたけれど、モンペをはき、きやはんをつけると気が張り、またどうやらその日一日がつゞけられるのでございました。
このやうな生活に耐えられたのも、常日頃のお母さまのお心遣ひのおかげと、しみじみありがたく思つてをります。
ことに五つのときから十三の春まで、矢倉沢の山に里子に出しておいて下すつたおかげで丈夫になれたのでございます。ちよはかあいさうに、お父さまが亡くなるとすぐ里子に出されて、やつぱりなさぬ仲だから――なぞと、口さがないひとびとの言葉を真にうけて、お母さまをお恨みした日もありましたこと、いまさらもうしわけなく存じます。
胸を患らつて亡くなつた生母の
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