るべし[#「教科書以外、教科書以上に自ら進む所以を教えざる結果学校に在りて学力優良なりし児童も一たび校門を出づれば学力減退して社会の進歩に伴うこと能わざるの観あるは何人も否み難かるべし」に白丸傍点]。これ主として国家社会の小学教育に求むる所[#「これ主として国家社会の小学教育に求むる所」に白丸傍点]、徒に多岐に亘りて根本動力即ち自学自修の可能力の養成を第一義とせざるがために外ならず[#「徒に多岐に亘りて根本動力即ち自学自修の可能力の養成を第一義とせざるがために外ならず」に白丸傍点]、詳言すればいたずらに現在主義に偏して深く児童各個の将来を顧慮せず[#「詳言すればいたずらに現在主義に偏して深く児童各個の将来を顧慮せず」に白丸傍点]、極力[#「極力」に白丸傍点]、知識の極量を授けて応用に苦しましめ児童自ら書籍につきて批評的に日新の活知識を獲得調査するの常習養成を閑却し[#「知識の極量を授けて応用に苦しましめ児童自ら書籍につきて批評的に日新の活知識を獲得調査するの常習養成を閑却し」に白丸傍点]、したがって社会の進運に伴うよう終生休止せざる進歩の動力を授けざるがためのみ[#「したがって社会の進運に伴うよう終生休止せざる進歩の動力を授けざるがためのみ」に白丸傍点]。今日の小学教育にかくのごとき欠陥ありとすればこれが救済は主として左の三策によるを必要とす。
一、辞書竝百科辞典の編纂 国民教育を終了せる少年がよってもって教育を補習継続し得べき完全なる辞書を有せざるは、単に教育の能率を低減する所以なるのみならず、また実に一等国たる国家の体面に関す。今日純然たる語学上より見て優良なる国語辞書多々あるべしといえども、小学児童もしくは小学教育終了者の用に供するにはその程度概して高きに過ぐ。たまたま小学児童を目的としたるものあれば、多くは教科書のままに難語を解釈したるまでにて検字に何等工夫努力を要せざる代りに、教科書以上教科書以外、実生活に応用の便あるものすくなし。特に不便なるは漢字と国語とを包括せざることなり。現在刊行の辞書につきて強て理想に近きものを求むれば、わずかに芳賀博士の「新式辞典」あるのみ。ただ同辞典は小学児童に使用せしむるには稍々複雑の嫌あるが故に教育上の目的に適するよう更にこれを改修し小学第五学年以上においてこれが使用法を授け時々練習問題を課し児童をして自ら検索せしむるを要す。当初は進歩遅遅たるの観あるべしといえども一たび児童の興味を喚起し自学自修の習慣にして養成せらるれば終極の進歩は刮目に値すべし[#「当初は進歩遅遅たるの観あるべしといえども一たび児童の興味を喚起し自学自修の習慣にして養成せらるれば終極の進歩は刮目に値すべし」に白丸傍点]。
国語辞書に次ぎて必要なるは少年用百科辞典の編纂なり。従来、中小学生徒を対象とせる事彙、辞典類の刊行なきにしもあらざれども地名、人名、名数等多くは彙類毎に排列索引を異にし実用においても、一般百科辞典の入門としても不便なれば、まず人名、地名、文芸等を主とせるものと理化博物農業等を主とせるものとを編纂し、小学校第五学年もしくは第六学年よりこれが使用法を授け、まず教科書中の事項より始め、やや進みては新聞雑誌または日常生活に密接せる事項につき児童をしてあるいは個別的に検索せしめあるいは宿題を課して一整に筆答せしめ練習を重ぬるに従い漸次統計年鑑の類に及ぼすべし。かくのごとくせば授業の進行を阻害するの虞あるべきかなれども時々読方、地理、歴史、理科等の時間の一部を割くのみにて足るべく、敢て纒まりたる時間を要するにあらず、これがため教科書の程度、教材の分量は仮令今日に比し幾分低減すとも、直ちに知識の宝庫を示しこれが秘鑰を授くるは限りあり、固定知識を多量に授けて応用に苦しましむるに優れり。現実の知識は固より尊重すべしといえども[#「現実の知識は固より尊重すべしといえども」に白丸傍点]、学校にて授くる現実の知識には限りあり[#「学校にて授くる現実の知識には限りあり」に白丸傍点]。現実の知識はたとえば現金の如く[#「現実の知識はたとえば現金の如く」に白丸傍点]、知識の所在を示すはあたかも貯金に似たり[#「知識の所在を示すはあたかも貯金に似たり」に白丸傍点]。一人の携帯し得べき現金の量には限りあれども、貯金は必要に応じ何時にてもこれを引出すことを得べし、今日自学自修の必要は漸く識者の間に認められながら、いたずらにその声を聞くのみにてその実の挙らざるは、一はこれに要する教具の欠如せるがためならずんばあらず。
二、郷土読本 郷土趣味を極端に高調すれば固陋に陥るを免れざれども、郷土に立脚せざる教育は堅実ならず。今日の教育が郷土を出発点とすべきは理論として認められたるのみにて、府県としても郡市としても町村としても組織的にこれが施設を試みたるもいあるを聞かず。今日の小学教育終了者にして全国鉄道重要駅を枚挙し得る者、その所在町村を基点として県内旅行の順序日程を定め得る者果して幾何ぞ。国史上の大人物はこれを暗記せるも郷土の史蹟、人物、もしくは直観資料の知識を欠く者あるいは多々これあらん。これが欠陥救済として各府県において郷土の史蹟、人物、文芸等を主とせる補充読本を編纂しこれに郷土に関する直覧資料を加えて第六学年以上の児童に携帯使用せしめば、一面郷土観念を鞏固にし、一面国定教科書による画一の弊を救済し兼ねて学力補習の用に供すべし。補習教育の必要は今日一般に認められたれども、これが教科書に充用すべき読本の乏しきに苦しむもまた事実なり。故に郷土読本の編纂に際しては事情の許す限り一般国民資料をも加味しその毎篇、毎章または編章中の主なる事項毎に成るべく適切なる参考書を示し、その本文はそのまま、補習教科に充つべく指定せられたる参考書は教師の参考資料ともなり進みたる青年の独学自修の栞にも供すべきようにし、通俗講話のごときもなるべく題材をここに求むることとし、町村図書館においては最先にその指定参考書を備付くることとし、巡回文庫にも幾分これを編入ししかして機会あるごとにこれが利用を奨励せば必ずや効果の見るべきものあるべし。
三、師範学校に図書館学科を加うること 辞書、参考書、郷土読本の編纂なるも書籍は必竟死物にして指導者その人を待て始めて活用全きを期すべきが故に児童の自学自修の常習を馴致せんとせば教師自らまずその自助の精神を体得し、その態度を一変せんことを要す。教師をしてまず読書趣味、図書館趣味の必要を自覚せしむるには師範学校最終学年の生徒に図書館利用法を課し、就職後、入ては教室に児童の読書を指導し、出でては学校附属の図書館管理に任ぜしめ学校図書館互に相提携して国民教化の活動を全からしむるにしくはなし。しかして学校図書館の主なる利益は教師は館員よりも児童の個性を悉知するが故に教室内に善き集書ある場合には適切の時期に適切の書籍を適切の児童に供給することを得るにあれども、その不利益とする点は児童が中央図書館に出入する慣習養成の機会を逸し、したがって中央図書館における大集書の教育的価値を閑却するに在れば、学校と図書館とは各自らその特殊の任務を自覚し学校は児童を介して図書館に接近し図書館は附属図書館を介して学校に接近し相互に隔意なく協力利用することを忘るべからず。
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「自今以後、この二種の機関は互に相侵し相煩わすことなく、両々相頼り互に相援けて並び進まざるべからず。学校は自発的に思想と作業との系統を定め、児童の活動力と活動傾向とを開発し、全てその当面の作業における有力の同盟として遺憾なく図書館を利用し、児童をして終生これを利用せしむる習癖を養成せざるべからず。図書館は出来得る限りの補足的努力により、最も聡明なる協力により、最も同情あり効果ある助力により、又児童を歓迎して老来体力の衰頽により図書館の利用不可能なるに至るまで、これを離るるに忍びざらしめこれによりて学校に応答せざるべからず。」『師範学校教程図書館管理要項より』
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四
図書館を中心とする自学自修主義の学風作興と相待て必要なるは互助教育の復興なり[#「互助教育の復興なり」に白丸傍点]。従来行われたる漢学塾の論講は他にいかなる短所ありとも一面より見れば互に切瑳し相啓発するの効ありしは疑うべからず。この種の学風我国に跡を断たんとする今日却て米国において盛に行わるるを見る。同国公共図書館においては多く倶楽部室の設備ありて成年者のために各種会合の便を与うるのみならず、中小学の少青年にして弁論又は研究の小集会に利用する者少なからず。ニューヨーク、ウイスコンシン諸州に在りては数名ないし十数名の同志相集まりて読書倶楽部を組織し大学通信教育部または州立図書館の監督指導の下に読書の順序を定め、参考用として巡回文庫を借受け一定の事項を研究する者頗る多し。この組織は直ちにこれを今日の我が青年会に適用し難しといえども青年会も修養機関としては今後主として互助教育主義を採り同趣味、同年輩の者、日時を定めて三々五々相集合し年長者を座長または奨励者となし教師は大体の説明指導を与うるに止め互に切瑳啓発せしめば従来の補習夜学に比し一段の進境ならずとせず。
図書館こそ真に民衆の大学なれ、とカアライルは云えり。大学教育が講義によりて問題の輪廓梗概を示し、学生をして図書館に入りて各自の能力に応じこれを潤飾しこれを研究せしむるごとく、今日以後、国民各自をしてその長所特色を発揮せしめんとならば、小学教育より早くすでに図書館中心主義の教育法を採り、予習復習ともなるべく図書館を利用せしめ、社会的には学校と云わず図書館といわず、全体として教育の能率増進を期し、個人的には児童の人格完成を期すべし。教育の基礎が全て小学校に存するごとく、補習教育問題も学年伸縮問題も学制改革問題も全て小学校における自動教育主義より出発すべく基点をここに求めざる解決は終極の解決というべからず。
[#地から1字上げ](『帝国教育』四一〇号、大正五年九月[#「九月」は底本では「九日」])
底本:「個人別図書館論選集 佐野友三郎」日本図書館協会
1981(昭和56)年9月7日第1刷発行
初出:「帝国教育 第四一〇号」
1916(大正5)年9月
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2007年12月28日作成
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