幕末維新懐古談
田村松魚の言葉
田村松魚
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)爾来《じらい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)両人|限《き》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)とても[#「とても」に傍点]
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(この「光雲翁昔ばなし」は大正十一年十一月十九日(日曜日)の夜から始め出し、爾来《じらい》毎日曜の夜ごとに続き、今日に及んでいる。先生のお話を聴いているものは高村光太郎氏と私との両人|限《き》りで静かな空気をこわすといけない故、絶対に他の人を立ち入らせなかった。最初の第一回は光太郎氏宅他は今日まで先生のお宅でされつつある。私たちはかねてから、先生の昔ばなしを聴きたく希望していたので、二、三年ほど前からこの事を先生にお願いしてあったが、この頃になってやっとその時機が来たのである。先生のお話に対しては、時々私たちは質問をしたり、或る時は、話題を提出したりすることもあるけれども、多くは、先生は口述的にポツポツと話し続けられて行った。私は丹念にそれを口語のままに聞き書きして行ったのである。もっとも筆記をするためにお話を伺ったのでなく、お話を聴きたいために話して頂いたのであるが、この有益にして多趣味のお話を我々両人の記憶にはとても[#「とても」に傍点]残らずは記憶し切れないと思ったので、失念遺漏を恐れ、私が筆まめなのに任せてすべてを聞き書きしたのである。しかし、私の最初の考えは(今もそうであるが)彫刻家としての先生の七十年の生活を詳しく知ることを希望したと同時に、もう一つ、それを現代の人々にも知らせたく、また後の世に残して置きたいと思う意味もあった。私に、そういう考えがあったために、特に聞き書きすることに丹精したのでもある。それで、後の方の意味について、先生の御意見を伺って見たら、それはあなたの御勝手だ、ということであるから、私は聞き書きをさらに清書して、それを先生に御覧に入れた。先生は、また、私の丹精をよろこび非常に丹念にそれに筆を入れて下すったのである。そうして、私はまたそれを浄書し、さらに先生に御覧に入れた。先生は、また、それを丹念に読んで、「これなら、よろしかろう」といって私にその稿本を戻して下すったのがすなわちこの本文である。ただし、先生は、私たち後進に対して、過去の記憶を、記憶
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