なぐさめてやったのはこの美しい魂の武人なのだ。
 私は陸奥の山河は破れてもこの美しい主従の魂のうえに永久なる幸を祈ってこの丘を下った。束稲山の清峰には昔阿部頼時が桜一万株を植えたという。西行の、

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 陸奥の国に平泉にむかひてたばしのねと申す山の侍るに、こと木は少きやうに、桜のかぎり見えて花のさきたるを見てよめる
 ききもせず束稲山の桜花
  よしのの外にかかるべしとは

 おくになほ人見ぬ花の散らぬあれや
  たづねをいらむ山郭公
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 往時をしのびてしばし感慨無量であった。鉄路を横ぎって中尊寺のほうへ歩を運ぶ。坂の入口に辨慶松あり、苔の墓標には夏の陽がかげって、その側の石には、

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色かへぬ松のあるじや武蔵坊
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と、素鳥の句を録してある。

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年ふれど色は変らじ松が枝の[#「松が枝の」は底本では「松が技の」]
 下露あびて墓標は立ちけり
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 私は立往生をしたという衣川と、この天地とを比べて、快男子としての辨慶、忠臣としての辨慶を想った。
 ここから道は爪先[#「爪先」は底本では「瓜先」]上がりになっている。ここは月見坂というのである。その昔、栄華を極めた陸奥の武人たちが女人打ち連れて月見をしたというさまを想い浮かべてみた。老杉の梢で何鳥だか、かん高くないて去った。この坂のふもとにうす墨の桜というものあり。

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月見坂上り下りの武士の
心にしみつうす墨の花
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 辨慶堂、薬師堂を経て関山中尊寺に詣る。慈覚大師の開基なり

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古へを関とめけりなみちのくの
 関山寺の松に風吹く
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 なお行くほどに夏緑に包まれた山坊堂宇、みな昔を物語るもので、ことに宝庫に一歩足をふみ込んでは当時の美術工芸の進歩の跡を知ることを得るのである。
 われらはここにて念入りに研究の瞳を古き宝物にとどめた。その足ですぐ金色堂を見た。私はここに奥の細道の言葉を借りてくるのを適当とする。

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「兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す、経堂は三将の像を残し光堂は三代の棺を納め三尊の仏を安置す、七宝散り失せて珠の風にやぶれ、金の柱、霜雪に朽て既に頽廃空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて甍を覆ふて風雨を凌ぐ、暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨のふり残してや光堂」
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 私たちの訪れたときはよい天気だった。夏風や、夏草や、そこここの一木一草が、昔の夢おぼろに私たちの心の前に展開さしてくれた。

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山鳥のなきて霊舎に夏陽さし
 静かに眠るみたまなりけり
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 経蔵と釈迦堂、絵画堂などをみて毛越寺に下る。大堂宇の跡は楚石の数々に昔をしのぶに充分である。大泉池も葦の生えるにまかせて昔の夢を浮かべて夏草は一面にそよ風になびいている。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと笠打敷きて時のうつるまで涙を落し侍りぬ
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夏草や兵どもが夢の跡   芭蕉
卯の花に兼房見える白毛哉 曽良」
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 私はかくして芭蕉師弟が夏草に坐して涙を流したる心境の一部に接することの得たことを喜ぶのである。
 ああ、平泉の山河よ、この山川草木一つとして生きた歴史の宿さぬものはなく、みななつかしい、しかも美しい武人の夢を宿しているのだ。あの美しい源氏の大将義経も、ここに眠っている。
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「あの雪の日、このみちのくを立って、私のためになつかしい故郷をすてて、遠い戦場で死んでくれた、百六十余人の平泉の人たちの魂のためにも、私はここの土となってしまいます。
みちのくは私にとって第一の故郷です。私はみちのくへきて初めて渇えていた人間のあたたかい心に充たされたのでした。」
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 義経はこういっている。
 ああ、みちのくの天地よ、さらば永久に静かなれ。
[#地から2字上げ](第三信・平泉にて)



底本:「村山俊太郎著作集 第一巻」百合出版
   1967年(昭和42)12月20日第1版第1刷発行
   1968年(昭和43)3月10日第1版第2刷発行
入力:しだひろし
校正:土屋隆
2010年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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