場の面影をとどめた家造りがちらばっている。
 うねうねたる笹谷の街道である。村から遠ざかるとみんなはさわぎ出した。山男の井淵君大声で山節を唄った。あるいは、軟かいところで、山は高いし……ひとりとぼとぼ……と、かの感傷的な人間も声を張り上げている。
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行け行け男児
日本男児
[#ここで字下げ終わり]
 校長先生が唄った。否唄ったというよりも大声で読んだのである。深い谷まで面白いと見えて、まねて歌を詠んでいる。
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峠、坂道七曲がり八折れ
下にホケキョの音がする
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 これは私がうたったもの。もう雨は落ちてこない。ただ頭の上を雲のみが足早に過ぎ去る。
 顧みすれば山形の盆地は青く晴れている。
「おい、この街道、今も人通りが多いかね」
「ああ、かなり通るよ。たまにはさ、妙齢の美人も通るということだ」
 こんな話に一同どっと笑う。頂上近くになれば霧が盛んに押し寄せて高山気分をおもわせる。
 午前六時十五分笹谷の絶頂に到着。寒し、羽陽の山河は霧にさえぎられて見えず。山男××くん、最後の望郷に愛しき妻子に幸あれかしと祈ったか祈らぬかはしらねど、何でも昨夜新山でかいた通信にはたしか、こんなことがかいてあったらしい。
「とうちゃんは、今、新山の学校の二階にいる、お土産をもっていく……火の用心……云々」
 ここで記念サツエイをパチン。霧は太平洋のほうからしだいに晴れてくる。青ずんだ太平洋や岬が見えてきた。
 ここに和田校長の即興歌を一つ
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晴れた/\や空が晴れたや
太平洋まで空がはれたや
[#ここで字下げ終わり]
このや[#「や」に傍点]に妙味があるのだが……
六時三十分頂上出発。
 下ること数町、大雪渓に驚き、雪の上にて再びレンズをパチリ。

     五

 八時頃、笹谷村着。古風な家並みの中に五月鯉が一尾腹をふくらましていた。ここにある分校にて郷土史に関する記録を見せてもらう。
 うやむや[#「うやむや」に傍点]の関跡にて小憩、往時の[#「往時の」は底本では「住時の」]面影をしのびながら野上村に着く。
 分校にて昼食。
 ここに和田校長と一酔漢の面白い一幕が展開していくのであるが、このことは他日にゆずろう。
「やあ……親方ァ……これでもうな、若いときゃあ……な、満州の……な、えい……守備に選抜されてな……アッハッハッハッ……」
 酔漢はぺらぺらとわが校長に話している。明石近くになると、みんなの足が妙な、くすぐったい笑いを初める。その笑いは、電車の中の人となってようやくだまってしまった。
 明石から仙台まで電車にのる。電車中のロマンスといいたいが、それは長くなるから止すが、その主人は、青いヘルメット帽をいただいた一名色男という××くんで、相手は決して妙齢とは思ってくれるな。また婆さんとも思ってくれるな。しかして読者の想像に任せることとしよう。電車を下りるや、
「いよう、色男っ! 罰金は承知だろうな」
と早速一本参る。
 宿屋についた。仙台市××町瀬戸かけ[#「かけ」に傍点]旅館とは、みんなが宿屋の看板を見るまで信じていた名、かけ[#「かけ」に傍点]とかつ[#「かつ」に傍点]の誤りか……うふふ。
 明日は多賀城に向かうのだ。疲れたからだに夢も忘れて眠る。
[#地から2字上げ](第二信・仙台にて)

     六

 三日、午前六時五十五分一の関発、平泉へ出発。まず平泉駅にて下車すればおよそ一町北に平泉館というあり。
「……秀衡が跡は田野に成って金鶏山のみ形を残す……」
と奥の細道は言っているが、今はその一部は人家の下に夢をたたえ、一部には麦の穂の白い花が盛りでした。この一眸の田畑の中を北上川が流れている。即ち藤氏三代の栄耀の跡である。束稲山は北上川をへだてて青空の下に静かに往時の夢をむさぼっている。
 まず高館に登る。すなわちわが義経公の居城のありし跡なり。私はまず木像を拝し足下に流るる北上の激流を、絶壁の下にのぞき相対している束稲山をはるかにのぞんだ。
 老杉の間から夏緑の影が鮮かである。ここからは衣川の流れも北方の山々も何の遮るものもなく一眸に見える。
 義経の自刃の場所である。
 私は義経くらい心の美しい武士はないと思っている。そして義経を想うといつも彼を終わりまで助けてくれた佐藤庄司父子の武士らしい一生を夢よりも美しい物語として私は思い出すのである。その佐藤庄司の宅はあの向こうの山の中腹頃にあったのである。陸奥の山河は清い武士の心を育んでくれた。その清い武人を頼ってはるばる奥州へきた世にも美しい小鳥のような魂をもつ義経を彼らは育てあげていたのである。
 小鳥は巣立った。美しい小鳥は美しくとびまわった末、再び羽をいためて古巣を訪れたのだ。それをあくまで
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