は、単なる古い型における教育への愛情、子どもらへの愛情だけではどうともならない。村の封建性や、学校のそれに対して、はっきりしたたたかいの心構えを実践するところに、わかさの本領がある。
 K子が、わたくしと青年との間の農業革命の進みかたに関する、ごくわかりやすい話に耳をかたむけていながら、ほとんどわからないとなげかねばならぬ教養の貧困と非科学性も現在のわかい教師たちの共通の問題であろう。あらゆる父兄が、その子弟の教育をなす権利のためにいかにたたかうかを、教師は父兄とともに探究していくところにPTAなどのいきかたがある。教師と父兄、村と学校が封建的ないがみあいの殻からぬけきれないのでは、日本の民主革命も心細い。
 村や学校や、自分の頭脳のなかに残存している封建的なものから脱却し、封建的官僚の権力支配から教育を解放して、働く人民のための教育を建設するために、わかい教師たちはひたむきな明るい道を進んでほしい。わかい女教師の死をめぐる問題のもつ教育的意義は、このようなギセイを日本の教師たちのなかから出したくないことにつきる。そのためにこそわかい教師たちの正しいふるいたちをねがうのである。この地方
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