石をしょわずに
――わかい女教師の自殺
村山俊太郎



 昭和二十二年七月二十日の朝、T村小学校のわかい女教師が、通勤の途中にある淵に投身自殺をした。すがすがしい朝を、大きな石を身につけて、すきとおる山谷の淵の底に身を沈めた。十八年四月、村の高等科を卒えると、T町の実科高女校に入り、卒業した二十一年四月から隣村の小学校に助教として奉職していた。このわかい女教師は、わたくしの妻の教え子なので、時々わたくしの住まいにも訪ねてきて、よく教育のことなどを語りあった。それで妻からこのK子の死を知らされたとき、どうしても信じられないほど心のおどろきを感じたのだった。妻はその自殺の模様をかいつまんで話してから、
 ――子どもたちのけんかがもとで、有力な父母から、新教育なんていったって、しつけひとつできないじゃないかと言われたのがもとだって。
と死の原因についての評判をまとめて語ったあとで、
 ――けれど、そのほかに、新しい教育への苦しみと悩みがK子を死なせたのよ。
とわたくしの同意をもとめるようにいった。このことについては、つい一週間ばかり前にK子がわたくしの住まいを訪ねてきて、教育についての悩みを語りあった直後なので、何の無理もなく、わたくしは妻の意見に同意することができた。そしてK子が口ぐせのように、その妹に、
 ――お前は先生にだけはなるな。先生って、とてもむずかしいつらい苦しいものよ。
と語っていたということを妻からきいて、暗い気持ちになった。



 K子が妻を訪ねて、わたくしの住まいに来たのは、七月のはじめの日曜だった。妻の教え子であるO村の青年が、見事なさくらんぼをもって訪ねてきていた。この農民組合青年部で活躍しているわかい青年と対談しているところへ、K子も妻を訪ねてきたのだった。
 わたくしは、この青年と、むかし戦闘的だったO村の農民組合の現在の状況や、農地改革に対する農民たちの関心のうすいこと、小作農が自作農になりたがらない気持ち――などの分析をやったり、日本経済をつつむヤミとインフレにより形だけの富農が発生しつつあること、そして農村支配が地主層からこの富農層へうつりつつあること、日本の独占資本とこの富農との結合方向が見えていることなど最近の農地農民の問題を語りあった。
 わたくしと青年との語らいを、K子はだまってきいていた。そして青年が去ったあとで、わたくしはK子に、
 ――いまの話がよくわかるか。
ときいてみた。K子は真剣な顔になって、わからないこと、村にいて村の生きた姿がつかめないことのかなしさなどを訴えた。わたくしは、農村の先生が農村のことを知らないではこまるから、すこしずつ勉強することをすすめて、やさしい参考書なども二、三冊紹介したりしたのだった。
 そのあとで、K子は、今日の来意をつげて、ノートをだしながら、教育の問題について、いろいろとわたくしに問いただすのだった。この日、K子が用意していた問題は、子どものしつけの問題と、自然観察の指導と社会科の知識などであった。
 戸数二百たらずの山村の荒っぽい子どもたちと父兄とは、たとえどんなにすぐれた優等生型の頭脳をもっているK子でも、温良な性格と女学校をでたばかりの若さではつらい生活の相手であっただろう。三、四年の複式学級をもっていた彼女が、子どもたちのしつけの問題に悩みつづけていたことは、わたくしや妻への話でよくわかる。
 毎日のように、子どもたちのけんかがある。一時間じっと学習することのできない子ども、間接授業の子どもたちのさわがしさ。学用品のない子ども。平仮名の書けないたくさんの子ども。九九の知らない子どもの多いこと。シラミの多い女児の頭。語ってきかせても、叱ってみても、反応のない野性の子どもたち……。自然観察はどうするのか。四年は理科、三年は自然観察という複式の悩み。また自然観察の系統はどうあるのか。参考書は、教案は?
 このような悩みと苦しみをポツリポツリとわたくしにきくK子と対座しながら、学校という組織体のなかから、ポツリと一人びとりにきりはなされておかれているK子というわかい教師がかなしくなり、個人意識にうごかされて、民主的な教育からは遠い学校を思った。わたくしはきいた。
 ――教室で子どもと一緒にいるとき、職員室で先生方と一緒にいるとき、たのしいかい?
 するとK子はにっこりしながら、子どもたちと一緒にいることはたのしいこともあるが、辛いことが多い。職員室はたのしくないと語った。そのような子どもたちのしつけの苦しみや、教育のことについての悩みを、先生方に相談したり、学校全体で話しあったり、研究したりすることはないかとたずねると、K子はさびしく学校のなかの先生方の孤立していて協力的でないことなどを語ったのだった。そこでわたくしはまたたずねた。
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