どもたちを呼んでいた。
 ぼくの病気も解放された心の明るさに伴って一枚一枚皮をはぐように気分のよい日がつづいた。子どもたちは、戦争など、とうの昔に終わったというようなケロリとした気分で、ぼくのために川魚をとったり、茸をとったりして、まずしいぼくの食膳を喜ばせたりした。
 子どもたちの学校も、どうにかもとのように授業をはじめるようになった。ぶ厚い防空頭巾をかなぐりすてた、軽々した学生帽でうれしそうに登校する。十月も半ばすぎて、一昨年六月生まれた士郎がようやく立つようになった頃、ぼくに関する大赦の新聞記事が、世間の話題となった。ぼくの方二間の住まいが俄かに、にぎやかな人びとの来訪によってにぎわっていたある日、長男は学校から帰るとぼくに向かってたずねる。
 キョウサントウって何だや。
 ぼくはギクリとした心を平気に装いながらも、この子どもが、どこからこんな問題を拾ってきたのだろうかと考えてみた。そしてぼくはこの子が誰からか、からかわれでもしたのだろうと察して、
 だれかに、何とか言われたか。
と笑ってたずねると、今日学校で上級の男の子がキョウサン、キョウサン、キョウサントウとからかったと、朗
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