くは改めて二人のいい分をきいてから、
では、読んでみるから、お前たちでどっちが勝ちであるかきめてごらん。
といって羽仁五郎の「人民の方へむけ」という論文をゆっくりよみはじめた。三、四行よむと、二人は顔を見合わせて、「あ、わかった」といった顔つきである。ぼくは読むのをやめてしまった。この勝負、どうやら兄の負けなのである。そこでぼくはその論文のなかからつぎの一節を抜き書きして与え、ローマ字五十音に合わせてよんでごらんと課題する。
デモクラシートハ、ジンミンノタメノ、セイジデアル。
三
自由をたたかいとるために、ながい苦しみを味わってきたこの父であるが、それにしても、わが子に自由を与えることのいかにむずかしいことか。
ともすれば、封建的な権力をふりかざして子どもに接し、あとでぞっとするのである。わが家の言論の自由は、子どものためにこそ伸ばさなければならないと心をくだくのである。
考えて見れば、子どもたちばかりの社会があったら、どんなにのびのびと心たのしい明るい社会をつくるだろうかと思うのである。
おとながつくった風俗や習慣などけしとんでしまい、本能さえも別ものにつくりあげるかもしれない。そして子どもたちはこうした自由な環境、すべてを自分たちの手でうごかして見ることの環境としての夢を学校に求めていくのである。
しかしそのたのしかるべき自由の学園は、すでにおとなの鋳型によって、もっとも不自由な天地となって子どもたちを縛るのである。いわゆる「すべからず」の学風が今の学園を支配しているのである。
ボクラの先生は、質問すると叱るよ。
××先生はぼくらが掃除していると日なたぼっこしてるんだぜ。
○○先生は、新聞なんかみんなウソだと言ってたよ。
このような学校にも嵐が訪れている。その嵐が吹きやむと間もなく暖かい春が訪れてくるであろうか。
子どもには、いつも子どもの生話をたのしむ場としての学校。
子どもなりに、豊かな文化を恵まれ自由がいきいきと世のなかにまでかよっている学校。
親も教師も、子どもについての悩みは、ここに再出発の姿勢をかまえるべきだ。世の親と教師こそ子どもの前に総ざんげしなければなるまい。日本の人びとがながく冬のなかにおしこめられて自由を失っていたように日本の子どもも、そうした桎梏の環境のなかで揉まれながら冷たくかたい凍原のなかで春
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