どもたちを呼んでいた。
ぼくの病気も解放された心の明るさに伴って一枚一枚皮をはぐように気分のよい日がつづいた。子どもたちは、戦争など、とうの昔に終わったというようなケロリとした気分で、ぼくのために川魚をとったり、茸をとったりして、まずしいぼくの食膳を喜ばせたりした。
子どもたちの学校も、どうにかもとのように授業をはじめるようになった。ぶ厚い防空頭巾をかなぐりすてた、軽々した学生帽でうれしそうに登校する。十月も半ばすぎて、一昨年六月生まれた士郎がようやく立つようになった頃、ぼくに関する大赦の新聞記事が、世間の話題となった。ぼくの方二間の住まいが俄かに、にぎやかな人びとの来訪によってにぎわっていたある日、長男は学校から帰るとぼくに向かってたずねる。
キョウサントウって何だや。
ぼくはギクリとした心を平気に装いながらも、この子どもが、どこからこんな問題を拾ってきたのだろうかと考えてみた。そしてぼくはこの子が誰からか、からかわれでもしたのだろうと察して、
だれかに、何とか言われたか。
と笑ってたずねると、今日学校で上級の男の子がキョウサン、キョウサン、キョウサントウとからかったと、朗らかにいう。そこでぼくは、それで何といったのときくと、
ンダズー(そうだよと肯定する方言)
と言ったと朗らかに笑っている。ぼくは妻と一しょに「ンダズ」はふるっていると笑ってしまった。
それから次つぎに皮をはがれるようにすすんでいる民主主義日本の荒い息吹きのなかで、子どもたちは新聞をあさり、私と妻の話に耳を傾け、ある時は私と来客の間に割り入って話をきくのである。そしていつの間にか、進歩党や、自由党、社会党についての子どもらしい解決をやっているのである。
次男の哲は、自分の名前から思いついたらしく、「社会党の書記長」を自任し、長男坊は、例の「ンダズ」事件以来「キョウサントウ」を自称して朗らかなのである。そして進歩党は誰かと笑いながらきくと
ぼくの家に進歩党はいないや。
とすましたものなのである。なるほど、この父であってみれば戦争犯罪人はわが家にはいない筈なのである。
ぼくの机から最近の大学新聞をひっぱり出して眺めていた二人は、ローマ字書きの記事を見つけて争いをはじめた。弟はローマ字だといい、兄は英語だというのである。しばらく争っていたが、その裁きをぼくのところに持ち込んできた。ぼ
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