むけていた。
 手提ランプをさげた、若い駅員がひとり車室に入ってきて、竜太郎に、なにか言いかける。なにを言ってるのか、一言もわからない。
 駅員は、手真似でやりだす。鞄を持って、じぶんについてこいと言ってるらしかった。
 鞄をさげて待合室の中へはいって行くと、構内食堂《ビュッフェ》の長い食卓のむこうに、灰色の外套を着た、士官らしい男が三人坐っていて、厳しい眼差しで竜太郎を迎えた。
 構内食堂の中には、ただならぬ緊迫した空気がただよっていた。奥の丸卓では、電信兵がせわしそうに電信機の鍵をうちつづけ、重い靴音を響かせながら、伝令の兵士が絶えまなく出たり入ったりしていた。廊下の壁ぎわには、鉄兜に顎緒をかけた一小隊ばかりの兵士が、横列になって並んでいた。誰か身動きするたびごとに、銃剣がドキッと光った。竜太郎は、ここで、なにが起ろうとしているのか、理解することができなかった。国境駅の検閲にしては、いささか、物々しすぎるおもむきだった。
 竜太郎は、旅行免状《パスポート》を差し出した。コレンコ風の、短い口髭を生やした、年嵩の士官は、旅行免状をチラと一瞥しただけでおし返し、近東のつよい訛のある英語で
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