交わしていた。
 発車の間ぎわになって、ダンピエール先生が、リストリアの文部次官宛の紹介状を持って駆けつけて来てくれた。ひどく息を切らしながら、竜太郎の手を握ると、青年のような若々しい声で、叫んだ。
「自白したまえ、自白したまえ。君は、リストリア語でなく、あの女王の調査に行くのではないのかね。……しかし、ま、どっちだってかまわない。いずれにしろ、この紹介状はたぶん役に立つだろう」
 竜太郎は、心の深いこの老人に無言のまま頭をさげて、感謝の意を表した。
 汽車が出て行った。
 いつかのあの敏感そうな少年が昇降場の柱の蔭から、それをジッと眺めていたことを、竜太郎は知っていたろうか。

    七

 車室には、うす暗い電灯がひとつだけ点り、ムッとするように粗悪な煙草が濠々とたちこめていた。
 床の上には腸詰の皮や、果物の芯や、唾や、煙草の吸殻などが、いたるところに飛び散ってい、汽車が揺れるたびに、そこからひどい匂いがきた。
 入口に近い座席で、剽悍な顔つきをした三人の青年がブダ語らしい言葉で激論を闘わしている。いずれも血相を変え、今にも射ち合いにでもなりそうなけしきだった。荒々しいバルカン
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