の女も決して生かしてはおかぬというようなことを、繰返し繰返し仰せられます。痴話のなんのという段ではなく、顔を蒼白ませて、呪言《のろい》のように言われるのですから、さすがのあちきも恐しくなり、従って心も冷えますから、急に瘧《おこり》が落ちたようになる。三度の文も一度になり、仮病《にせやまい》をこしらえたり旅へ出たり、何とかして遠退《とおの》く算段《さんだん》ばかり。とうとう、ふっつりと縁は切れましたが、それでも、二人が初めて出逢った一月の三日には、この十年の間、欠かさず細々と便りがございます」
 源内先生は、ふう、と息をついて、
「これは[#「「これは」は底本では「 これは」]大した執念だ。……して、その殺手姫さまといわれる方は、どこにどうしていられる」
「噂に聞きますとお父上さまのお亡くなりになった後、何かたいへんにご逼迫《ひっぱく》なされ、江戸の北の草深いところに、たった一人で住んでいられるということでございます」


          行きついた所

「どうだ、わかったか」
「へえ、わかりました」
「どんな工合だった。餌取は白状したか」
 伝兵衛、この冬空に、額から湯気を立て、
「白状も糞もあるもんですか、いきなり取っ捕まえて否応《いやおう》なし」
「それは、近来にない出来だった」
「止しましょう。先生に褒められると、後がわりい」
「まあ、そう怯えるな。わしだって、たまには褒めることがある。方角はどっちだ」
「田端村《たばたむら》の萩寺《はぎでら》の近く。大きな欅《けやき》の樹のある、小瓦塀《こがわらべい》を廻した家で、行けばすぐわかるんだそうです」
「名前は知れなかったか」
「ご冗談。犬猫の皮を剥いで暮している浅草田圃《あさくさたんぼ》の皮剥餌取に、文字のあるやつなんぞいるものですか」
「それもそうだ。では、早速出かけようか」
「出かけるって、いったい、どこへ」
「わかっているじゃないか、その小瓦塀の家へ行く」
「あっしも、お供するんで」
 先生は、例の通り、梅鉢《うめばち》の茶の三つ紋の羽織をせっかちに羽織りながら、
「当り前のことを言うな、お前が行かないでどうする」
「どうも、藪から棒で、あっしには何のことやら……」
「話は途々《みちみち》してやる。……今日は雪晴れのいい天気。まごまごしていると、また一人娘が死ぬかも知れん」
「えツ[#「えツ」はママ]、そいつアたいへんだ」
「さあ、来い」
 源内先生、いつになくムキな顔で、怒り肩を前のめりにして、大巾に歩いて行く。
 伝兵衛は、小走りにその後を行きながら、
「するてえと、何か、たしかなお見込みでも」
「さんざん縮尻《しくじ》ったが、今度こそ、大丈夫」
「大丈夫って、どう大丈夫」
「謎が解けた。……迂濶な話だが、大切《だいじ》のことを見逃したばっかりに、無駄骨を折った。……三日の日も八日の日も、それからまた十六日の日も、いずれも、雪晴れのいい天気だった。ところで、その次の日は、どんよりと曇った日ばかり」
「へい、そうでした」
「つまり、三人の娘は、雪晴れの天気のいい日ばかりに殺されている」
「そのくらいのことはあっしもよく知っております」
「黙って聞いていろ、まだ後があるんだ。ところでその三人の娘はみな源内先生創製するところの梁《みね》に銀の覆輪《ふくりん》をした櫛《くし》を挿《さ》している。……なあ伝兵衛、そういう櫛に日の光がクワッと当るとどういうことになると思う」
「まず、ピカリと光りますな」
「その通り、その通り」
「馬鹿にしちゃアいけません」
「馬鹿にするどころの段じゃない。そこが肝腎なところなんだ。……つまり、それが遠くからの目印になる。……なあ、伝兵衛、足跡を残さずに空から来るものは何んだ」
「鳥でしょう」
 源内先生は、大袈裟《おおげさ》に手を拍《う》って、
「偉い!」
 伝兵衛は、ぎょっとしたような顔で、
「するてえと……?」
 源内先生は、会心のていに頷いて、
「いかにも、その通り。……わしの見込みでは、まず鷹か鷲。……しかし、鷹にはあれほどの臂力《びりょく》はあるまいから、おそらく鷲だろう」
「うへえ、鳥ぐらいのことは、あっしだって考えますが、その鳥が源内櫛にばかり飛びつくというのはどういうわけです。先生、あなたの贔屓筋《ひいきすじ》というところですか」
「下らんことを言うな。それは、そういう風に馴らしてあるからだ。……ものの本によると、中世紀といってな、西洋の戦国時代に、大鷲を戦争に使ったことがある。『戦鷲《タリーグスハビヒト》』といってな、もっぱら敵を悩ますために用いる。しからば、どういう方法を以って馴らすかといえば、敵方の兜《かぶと》やら鎧《よろい》、そういうものの上に置くのでなければ絶対に餌を喰わせん。殊《こと》に、戦争の始まる前頃になる
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