かない顔で立ち竦《すく》んでいると、
「おい、伝兵衛、ここだ、ここだ」
その声は、どうやら、はるか虚空の方から響いて来るようである。
「うへえ」
五、六歩後へ退って、小手をかざして塔の上の方を見上《みあげ》るならば、五重塔の素《す》ッ天辺《てっぺん》、緑青《ろくしょう》のふいた相輪《そうりん》の根元に、青色の角袖《かくそで》の半合羽を着た儒者の質流れのような人物が、左の腕を九|輪《りん》に絡みつけ、右手には大きな筒眼鏡を持って、閑興清遊《かんきょうせいゆう》の趣《おもむき》でのんびりとあちらこちらの景色を眺めてござる。
総髪《そうはつ》の先を切った妙な茶筅髪《ちゃせんがみ》。
でっくりと小肥りで、ひどく癖のある怒り肩の塩梅《あんばい》。見違えようたって見違えるはずはない、鍋町と背中合せ、神田|白壁町《しらかべちょう》の裏長屋に住んでいる一風変った本草《ほんぞう》、究理の大博士。当節、江戸市中でその名を知らぬものはない、鳩渓《きゅうけい》、平賀源内先生。
「医書、儒書会読講釈」の看板を掛け、この方の弟子だけでも凡《およ》そ二百人。諸家《しょけ》の出入やら究理機械の発明、薬草の採集に火浣布《かかんぷ》の製造、と寸暇もない。
秩父《ちちぶ》の御囲《おかこ》い鉱山《やま》から掘り出した炉甘石《ろかんせき》という亜鉛の鉱石、これが荒川の便船で間もなく江戸へ着く。また長崎から取り寄せた伽羅《きゃら》で櫛を梳《す》かせ、その梁《みね》に銀の覆輪《ふくりん》をかけて「源内櫛《げんないぐし》」という名で売出したのが大当りに当って、上《かみ》は田沼様の奥向《おくむき》から下《しも》は水茶屋の女にいたるまで、これでなければ櫛でないというべら棒な流行《はや》りかた。
物産学の泰斗《たいと》で和蘭陀《オランダ》語はぺらぺら。日本で最初の電気機械、「発電箱《エレキテル・セレステ》」を模作するかと思うと、廻転蚊取器《マワストカートル》なんていう恍《とぼ》けたものも発明する。
「物類品隲《ぶつるいひんしつ》」というむずかしい博物の本を著わす一方、「放屁論《ほうひろん》」などという飛んでもない戯文《げぶん》も書く。洒落本やら草紙やら、それでも足りずに浄瑠璃本まで手をつける。
例の頓兵衛が出て来る「神霊矢口渡《しんれいやぐちのわたし》」は、豊竹新太夫座元で堺町の外記座《げきざ》にかかり、
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