、谷中瑞雲寺《やなかずいうんじ》の閻魔堂《えんまどう》のそばで、つい、たった今、また娘がひとり殺《や》られたという急な報せ。ちょうど、閻魔の祭日の当日なので。
そばと言っても境内ではない。瑞雲寺の石塀をへだてた隣りの家。
娘の名はお蔦《つた》。さきの二人と同じく、やはり十八。
浜村屋《はまむらや》という芝居茶屋の二女で、二人に劣らぬ縹緻《きりょう》よし。商売柄になじまぬ躾《しつけ》のいい娘で、この朝も早く起き、昨夜《ゆうべ》の雪が薄すらと残った物干台へ、父親の丹精の植木鉢を運びあげていた。
物干へ上ると、閻魔堂の屋根はすぐ眼の前。気さくなたちだから、植木鉢を棚へ並べながら境内を見下ろして、二階の座敷にいる母親に、大きな声で参詣の人の品さだめをしてきかせていた。
そのうちに、とつぜん声がしなくなり、コソとも動き廻る音が聞えなくなったので、母のお芳《よし》が妙に思って、横手の半蔀《はじとみ》から物干の方を見上げて見ると、お蔦が、膝をつくようにして、雪の上にがっくりと上身をのめらせていた。
物干場から瑞雲寺の石塀までは、大体、五間ほど離れている。そちらへ迫ってゆく屋根もなく、物干の下はすぐ黒板塀を廻した中庭。
二つの前例通り、どこを見ても変った足跡などはない。気のきいたつもりのやつが、二階の屋根瓦の上を這い廻ったが、雀が驚いて飛び立っただけで、ここにも、何の消息はなし。
源内先生の演説
源内先生が、宙乗《ちゅうのり》をしていられる。風鐸《ふうたく》を修繕するだけのためだから、足場といっても歩板《あゆび》などはついていない、杉丸《すぎまる》を組んだだけの、極くざっとしたもの。
何しろ、大きな筒眼鏡を持っていられるので、進退の駈引が思うように行かぬらしい。三重のあたりまでモソモソと降りて来たが、そこで、グッと行き詰ってしまった。
足場の横桁が急に間遠になって先生の足が届かない。宙ぶらりんになったまま、しきりに足爪を泳がせていられるが、どうして中々、そんな手近なところに足がかりはないのである。
源内先生は、情けない声をだす。
「おい、伝兵衛。どうも、いかんな。こりゃ、降りられんことになった。なんとかしてくれ」
伝兵衛は、面白そうな顔で見上げながら、無情な返事をする。
「何とか、って。どうすりゃアいいんです」
「上《あが》るも下《
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