》もヘトル役も外科医も、皆、江戸で懇意にしておったので源内先生も招かれてその祝宴に連ることになった。
先年いろいろ世話になった大通詞の吉雄幸左衛門《よしおこうざえもん》や通詞の西善三郎なども招かれて来ていて、参府の折の本草会の話なども出たが、先生の胸中には悲哀の情と佶屈《きっくつ》の思いがあるので、どうしても気が浮立たない。
そのうちに食卓開始の合図の鐘が鳴って、一同の後につづいて食堂に入ると、食卓《ターブル》の上には銀の肉刺《ハーカ》や匙《レーブル》が美しく置かれ、花を盛った瓶をところどころに配置し、麺麭《ブロート》を入れた籠《かご》や牛酪容《ホートルいれ》などが据えられてある。
最初に鼈《すっぽん》の肉羹《スープ》が出、つづいて牛脇腹《うしわきはら》の油揚《コツレツ》、野鴨全焼《ローチ》という工合に次から次に珍味|佳肴《かこう》が運び出される。阿蘭陀《オランダ》料理は源内先生の最も好むところで、このような珍味を食い葡萄酒を飲みながら植物学者ヤコブスの如き高足《こうそく》と談笑することは、この世での最上の愉快とするのだが、思うまいとしても蘇州庵の竹倚《チョイ》で殺されていた利七の無残な姿やお鳥の哀れな死顔、また藤十郎の悲歎に窶《やつ》れたようすなどがチラチラと眼に泛び、何を喰べても何を飲んでも一向に味がわからない。気がついて見ると何時の間には肉刺《ハーカ》を置いて我ともなく愁然と腕組をしている。
隣の吉雄幸左衛門《よしおこうざえもん》が見兼ねたものか、どうなすった、だいぶお顔の色が悪いようだが、と囁いたが、それにもちょっと頭を動かして頷いたばかり、返事をする気にもなれない。
源内先生は、じぶんが目睹《もくと》したところと藤十郎から聴いた事実をあれこれと照し合せ比べ合せ、頭の中でしきりに結んだり解いたりしていたが、そのうちに、冬の夜明けのような極く漠然とした希望の光が頭の中へ射込《さしこ》んで来た。
源内先生は、思わず膝を叩いて、
「〆《しめ》たッ、これでどうやらようすが判って来た」
と、頓狂な声で叫び立てると、急に談笑を止めてびッくりしたような顔で、こちらを眺めている一同に会釈しながら、
「甚だご無礼ですが、実以《じつもっ》て拠《よ》んどころない急用を思い出しましたから、中座をさせていただきます。その代り、このお詫びとして、後日ある場所へご案内いたし、不思議なものをごらんに入れて各位の心魂をお驚かせ申すつもりでございます。……それにつきまして甚だ申訳がありませんが、提灯がありましたら借用ねがいたい」
と言って、提灯を借受けると、スタコラと出島の蘭館を出て行った。
福介は、先生が余り物事に凝り過ぎて、とうとう気が狂《ふ》れてしまったのだと思った。昼は芭蕉扇を腹の上にのっけて夕方まで眠りつづけ、とッぷりと日が暮れると、蝋燭やら物差やら縄梯子やら、何に使うのか得体の知れぬ雑多なものをひと抱えにして長崎屋を飛出して行き、夜がほのぼのと明けるころ、着物に鈎裂を拵《こしら》え身体中蜘蛛の巣だらけになってがッかりと憊《つか》れて帰って来る。
こんなことが五日程つづいた後の朝、何時になく大元気大満悦の体で帰って来て、
「福介や、とうとう鬼唐人《きとうじん》のからくりを看破《みやぶ》ってくれた。ひとを馬鹿にしやがッて、実にどうも飛んでもない野郎だ。こういう風にぎゅッと尻尾を押えた以上は、いくらジタバタしたってもう逃しっこはない。伝馬町の獄門台へ豚尾《とんび》のついた梟首《さらしくび》を押載《おしの》せてやるから待っておれ……何を魂消《たまげ》たような顔でおれの面を見ている。今夜はお前にも面白いものを見せてやるから、今のうちに昼寝でもしておいたらよかろう」
そう言って、机に向って忙しそうに短い手紙を幾つも書き出した。
長崎奉行宛に一通、与力同心衆一同として一通、甲必丹《カピタン》オルフェルト・エリアス殿並に館員御一同として一通、吉雄幸左衛門宛に一通、西善三郎へ一通、手早く認《したた》めて使者《つかい》に持たせて出してやり、朝食をおわると下帯一つになって芭蕉扇で胸のあたりを煽ぎながらぐっすりと寝込んでしまった。
とっぷりと日が暮れてから悠々と起出して衣服を替え、藤十郎と福介を連れて長崎屋を出る。
福介は心配して、
「先生、これからどちらへ」
先生は、煩《うるさ》そうに首を振って、
「煩くいうな、来て見りゃアわかるさ」
と、膠《にべ》もない。
行着いたところが古川町の闕所屋敷、唐通詞陳東海の宅だった。
まるで自分の家ででもあるように横柄な顔で玄関からズカズカと奥へ罷《まか》り通る。
そこは陳東海の居間と覚《おぼ》しく、三十畳程の広々とした部屋で、床には油団《ゆとん》を敷詰め、壁には扁額《へんがく》や聯を掛け、一
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング