に手前も嚇怒《かくど》致し、何をすると叫びながら組付行くに、その煽《あお》りにて蝋燭の火は吹消え、真の闇となり、皆目見当も附かぬ事なれば壁際に難を避けんとする処、陳は手前の背後より抱付《だきつ》きて匕首を突刺し其|儘《まま》何処《いずく》へか逃去申候《にげさりもうしそうろう》、たいへんなる痛手にて最早余命|幾許《いくばく》も無之《これなく》と存候《ぞんじそうろう》、この様なる所にて犬畜生同様名も知れぬ屍《かばね》を曝《さら》すこと如何にも口惜しく候|儘《まま》、息のあるうちに月の光を頼りに一筆書残し申候、右に認《したた》めし條々実証也
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[#地から2字上げ]長崎|本籠町《もとかごまち》 唐木屋利七

 源内先生は、窓の傍で繰返し巻返しそれを読んでいたが、また利七の傍《そば》へ戻って来て、
「確かに拝見しました。……でもね、利七さん、あなたの見違いではなかッたのかね。陳東海は確かに江戸にいるのみならず、同じ日の同じ頃、江戸でお鳥さんを殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程《みちのり》。江戸で人を殺している人間が同じ日の同じ頃に大阪で人を殺せるわけのものではない。どうもあなたの見違いだッたと思うほかはない。さもなければ、陳東海に双生児《ふたご》の兄弟でもあって、二人で諜合《しめしあわ》せて殺《や》ッたことかも知れない。しかし、何であるにせよ、必ずわたしが追詰めてあなたとお鳥さんの敵を取ッてあげますから、それが供養だと思ってどうか成仏してください。ねえ、利七さん、あなたの骨《こつ》はあたしが長崎迄抱いて行ってあげますから」


          盂蘭盆《うらぼん》の夜の出来事

 検屍やら骨上《こつあ》げやら葬式やらと、福介と二人で何から何迄仕切ってやってのけ、大阪で初七日を済まし、奉行所の手続きもすっかり了《お》えてから、詳しく事情を認めて江戸の伝兵衛のところへ早飛脚《はやびきゃく》を立てた。
 江戸と大阪で同じ日の同じ刻に同じ唐人がそれぞれ二人の人間を殺したというので、これがたいへんな評判になり、何処へ行ってもこの噂ばかりだッた。
 どう考えても有りようもないことだが、江戸ではお鳥がはッきりと陳東海だったと言い、利七の方も、紛れもなく陳東海だときッぱりと書残している。死ぬ間際に益もない作りごとをする筈もないのだから、二人の申立は事実だと信
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