しま》った顔つきになって、
「この粘り加減では、どうやら人血」
「うむ」
「仮に、体内で死んでいるのが犬猫なら、こうまで夥《おびただ》しい血の香はいたさぬはず。この葭簀へ入った途端、プンと血の香がいたしましたことから推しますと、象の腹中には相当多量の血が溜っているのだと思われます」
「ご尤も」
小泉忠蔵は、引きとって、
「菘庵先生のお推察《みこみ》通り、もしこの象の中に人間が死んでおるのだとすれば、これは何とも奇ッ怪。何のためにかようなところへ死体などを塗込んだものであろう。……押問答をしている場合ではない。何はともあれ、早速、象の腹をあけて見ることにいたそう。……伝兵衛、なるったけ象を損じないようにして腹をあけて見ろ」
「ようございます」
すぐそばが、外麹町《そとこうじまち》、や組の番屋。追廻しが三、四人飛び出して行って、竹梯子《たけはしご》に鳶口《とびぐち》、逆目鋸《さかめのこ》、龕燈提灯《がんどうぢょうちん》などを借りて戻ってくる。
木枠といっても、桐に朴《ほう》の木をあしらったごく軽いもの。伝兵衛、梯子でのぼって行って象の左の脇腹からすこし上った辺を逆目鋸で挽《ひ》きはじめたが、骨組さえ挽切れば、後は胡粉と膠《にかわ》で固めた日本紙。挽くほどもなく肩まで入るほどの穴がパックリと黒い口をあける。
「おい、龕燈」
穴から龕燈を差入れ、象の胎内を照しつける。
見るより、伝兵衛、アッと叫び声をあげた。
「象の腹の中に若い女が死んでいます」
麻の葉の派手な浴衣《ゆかた》に、独鈷繋《とっこつな》ぎの博多帯、鬘下地《かつらしたじ》に結った、二十五、六の、ゾッとするような美しい女が、浴衣の衿元から乳の上のあたりまで露出《むきだ》しにしたひどく艶めいた姿で、象の下ッ腹の窪みにキッチリ嵌込《はめこ》むようになって死んでいる。左の乳の下がドップリと血に濡れて。
薄くあけた切《きれ》の長い一重目《ひとかわめ》の瞼の間から烏目《くろめ》がのぞき出し、ちょっと見ると、笑っているよう。
匕首《あいくち》かなんかで一突きに刳《えぐ》られ、あッと叫ぶ間もなく縡《ことき》れたのにちがいない。この穏《おだや》かな死顔を見ると、その辺の消息が察しられるのである。
それッ、というので、象の胸先を縦に挽き切り、下ッ引が四人がかりでソロソロと死体を引出す。
地べたへ菰《こも》を敷き、
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