るらしい。おかしなこともあるものだ。
 記憶に深い断層が出来、時の流れがふっつりと断ち切られ、どういうつづきでこんなことになったのか思いだせない。昏睡し、しばらくして、また覚醒した。こんどはいくらか頭がはっきりしている。なにも見えなかったはずだ。眼の上に折畳んだガーゼが載っている。
 ガーゼをおしのけ、薄眼をあけて見る。意外に低いところに天井の裏側が見えた。三方はモルタルの壁で、綰《わが》ねたゴムホースや、消火器や油差などが掛かっている。頭のほうに戸口があって、そこから薄緑に染まった陽がさしこんでいる。頭をもたげると、戸口を半ば塞ぐような位置にプリムスの後部が見えた……湖水の分れ道で久美子が拾われた、れいの大池の車だった。
「ガレージ……」
 ロッジの横手にあるガレージのコンクリートの床の上にマトレスを敷き、裸身にベッド・カヴァーを掛けて寝かされているというのが現実らしい。
 髪がグッショリと濡れしおり、枕とマトレスに胡散くさい汚点《しみ》がついている。足が氷のようだ。
「寒い……」
 と呟きかけたひょうしに、咽喉のあたりに灼けるような痛みを感じた……それで、いっぺんに記憶が甦った。石
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