してもということはない。和歌山へ行こうと伊那へ行こうと、それは君の自由だ。呼出しを受けたら、その都度、伊東署へ来てもらえれば」
「すると、結局、ここから動けないということなのね」
 捜査主任は微笑しながらうなずいてみせた。
「そのほうが、どちらのためにも都合がいいだろう、時間の節約にもなるし」
「死体があがるまで、こんなところで待っていなければならないというのは、どういうわけなんでしょう」
「君のためにも待っているほうがよさそうだ。検尿の結果、殺人容疑が、自殺干与容疑ぐらいで軽くすむかもしれないから」
「それは死体が揚れば、のことでしょう?……湖心に吸込孔があって、湖底が稚児※[#小書き片仮名ガ、308−上−1]淵につづいているもんだから、この湖水で死体が揚ったためしがないってことだったけど」
「それは伝説だ……この湖は石灰質の陥没湖じゃないから、吸込孔などあろうはずはない。いぜんは深かったが、関東大震災で底の浅い湖水になった。白髪になるまで待たせはしないから、安心したまえ」
 ちょっとしたことだと思っていたが、どうやら殺人容疑になるらしい。久美子は気分を落ちつけるために、煙草に火をつ
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