屋上へ煙草を喫いに行った。
 晴れているくせに、どこかはっきりしないうるんだような春の空に三日月が出ていた。あまり妙な色をしているので、久美子は思わず叫んだ。
「なんなの、あの月の色は」
「月がどうしたのよ」
「妙な色をしているじゃないの。黄に樺色をまぜたような……粉白粉なら肌色《オータル》の三番ってとこね」
「肌色でなんかないわ」
「黄土《おうど》色っていうのかな」
 仲間は煙草の煙をふきだしながら、まじまじと久美子の顔をみつめた。
「いつもの月の色よ、灰真珠色《パール・グレー》……あなたの眼、どうかしているんじゃない」
 月だけではなかった。塔屋の壁も扉もアンテナの鉄塔も、もやもやした黄色い光波のようなものに包まれていた。
 心臓にきたはげしいショックで久美子はよろめいた。
「宇野さん、どうしたの」
「疲れたのよ。きょうは帰るわ」
 アパートへ帰るなり、久美子は鏡の前へ行って眼のなかをしらべた。白眼のところに黄色い翳のようなものがついている。爪にも掌にもそれらしい徴候があった。
 あわてて服を脱いで下着をしらべてみた。シュミーズの背筋にあたるあたりにあの不吉な黄色いシミが、爪黒黄蝶
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