んだような静かな湖水の上で、ボートや田舟が錨繩を曳きながらユルユルと動きまわっている。それを見ているうちに、胸のあたりがムズムズして、笑いたくなった。
「マラソン競走は、あたしの負けだったわ」
 寝室の扉口で大池の細君が癇癪をおこしている。
「あなたはここでなにをしているんです?……大池が死んでからまで、ベッドに這いこもうなんて、あんまり厚顔《あつかま》しすぎるわ。恥ということを知らないの」
 母親の癇声を聞きつけて、息子なる青年が二階へ駈け上って来た。
「お母さん、みっともないから、怒鳴るのはやめてください」
「誰が怒鳴るようにしたの……あんな女の肩を持つことはないでしょう。はやく警察へ連れて行かせなさい。ともかく、この部屋から出てもらってちょうだい」
「出てもらいましょう……僕がよく話しますから、あなたは階下《した》へいらっしゃい」
 どんな扱いをされても、文句はない。久美子は窓のほうをむいて、しおしおと着換えにかかった。
「あなたは東洋放送の宇野久美子さんですね……テレビでお顔は見ていましたが、あなたがK・Uだとは知らなかった……何年も前から、いちどお目にかかりたいと思っていまし
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