なる。久美子は空しい抵抗をつづけながら、だんだん深く沈む。水明りが薄れ、眼の前が真っ暗になった。
 久美子は霞みかける意識の中で敏感すぎたせいで殺されるのだと、はっきりと覚《さと》った。

 三時近くになって、本庁の加藤主任のパッカードがロッジの前庭に走りこんできた。そのうしろから県警の連絡員が乗ったジープがついてきた。
 加藤組の私服たちはジリジリしながら主任の来るのを待っていたらしい。ガレージの前で同僚と立話をしていた木村という部長刑事は主任の車を見るなり、あたふたとドアを開けに行った。
「部屋長《へやちょう》さん、お待ちしていました。どこにいらしたんです」
「県警本部へ連絡に行っていた」
 加藤主任はすらりと車からおりると、ガレージの前にいる年配の私服に声をかけた。
「畑中君、ちょっと」
 畑中と呼ばれた私服は、はっというと、二人のそばへ飛んできた。
「打合せをしておきたいことがあるんだ……湖水のそばで一服しようや」
 林の中にうねうねとつづく、茶庭の露地のような細い道をしばらく行くと、だしぬけに林が終り、眼の前に湖の全景がひらけた。
 朽ちかけた貸バンガローが落々と立っているほか、人影らしいものもなかった対岸の草地に、大白鳥の大群でも舞いおりたようにいちめんに三角テントが張られ、ボーイ・スカウトの制服を着たのや、ショート・パンツひとつになった少年が元気な声で笑ったり叫んだりしながら、船着場に沿った細長い渚を走りまわっていた。
 葉桜になった桜並木のバス道路に、大型の貸切バスが十台ばかりパークしていて、車をまわす空地もないのに、朱と水色で塗りわけた観光バスがジュラルミンの車体を光らせながら、とめどもなくつぎつぎに走りこんでくる。観光バスのラジオの軽音楽と、ひっきりなしに呼びかけているキャンプの拡声器のアナウンスが重なりあい、なんともつかぬ騒音になってごったかえしていた。
 捜査一課の主任は煙草に火をつけると、陽の光にきらめく湖水を眼を細めてながめていたが、舌打ちすると、
「厄介なことになったよ」
 と忌々しそうにつぶやいた。
 畑中が詫びるようにいった。
「土《ど》、日《にち》は、どうもやむを得ないので」
「土、日は、言われなくともわかっているさ。だいたい、どれくらい入っているんだ」
「横浜の聖ヨセフ学院の百五十名、ジャンボリー連盟の二百名……いまのところ四百
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