れば、そのとおりで、火口状の凹地に湛水《たんすい》した火口原湖に、水の湧く吸込孔などあるはずがない。石倉がなんのためにありもしない吸込孔を、あると言い張るのか理解できなかった。
石倉の選んだバンガローは、キャンプ村の端れにあって、船着場のそばに一つ離れて建っていた。窓のない柿葺《こけらぶき》の小屋で、二坪ほどの板敷に古茣蓙《ふるござ》を敷いてある。入口の扉は乾反《ひぞ》って片下《かたさが》りになり、どうやってみても、うまくしまらなかった。
一時間ほど湖畔を散歩して、バンガローへ帰ると、夕食が届いていた。罐詰のシチュウとミートボール……昨夜、ロッジで夕食に出たのと、おなじものだった。
「おお、いやだ」
昨夜は成功しなかったから、もういちど、やってやれというわけか?
「あたしは殺される」
なんのためだか知らないが、そういう形勢になっているらしい。
いまになれば、思いあたるのだが、今朝、石倉が自転車でロッジへやってきたのは、当然、死んでいるはずの人間を、検察に来たのだ。久美子がガウンの裾をたくしあげながら玄関へ出て行くと、石倉は意外と失望のまじった、遣瀬ないような顔をした。表情がすべてを語っていた……
険呑な境涯に落ちこんだ。自分の力で身をまもるほか、やりようがない。暗くなるのを待って、夕食に出たものを裏の草むらに捨て、眠るとあぶないと思って、朝まで眼をあいていた。
翌朝、十時ごろ、隆と石倉がバンガローへやってきた。
「宇野さん、これから父の死体をあげますから、いっしょに船に乗ってください」
あまり悧口ではないようだ。もう、わかってもいいはずなのに、まだ、こんなことをいっている。
「なぜ、あたしがそんなおつきあいをしなくちゃ、ならないの」
「あなたは父の死際に薄情な真似をした。せめて、水から揚るところを、見てやってくれとおねがいしているんです」
久美子は腹をたてて、大きな声でやりかえした。
「なんであろうと、強制されるのは、まっぴらよ」
「昨日、捜査主任に、父の死体は揚らないだろうといったそうですね。父の死体が揚ると、困ることがあるんでしょう」
「そんなふうには言わなかったわ……探しても見つからないなら、最初から死体なんか無かったんだろう、と言ったのよ」
「それは、どういう意味ですか」
久美子は怒りに駆られて、心にあることを、そのままぶちまけた。
「
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