三年ほど前から、影のようにずっと大池氏といっしょにいた……大池氏の手箱から、K・Uという署名のある恋文がたくさん出てきたので、文面から推しても、これはほぼ確実なことなんです……ざっくばらんにおたずねしますが、K・Uという女性はあなたですか」
K・Uといえば自分の姓と名の頭文字だが、久美子がその女性であろうわけはなかった。
「それは誰かちがうひとでしょう。あたしは大池さんには、昨日お目にかかったばかりで」
「ああそうですか」
捜査一課ほもっともらしくうなずき、煙草の煙の間から眼を細めて久美子の顔をながめていたが、灰皿に煙草の火をにじりつけると、説得する調子になった。
「新聞でお読みになったろうと思うが、東洋銀行の浮貸しで、三億円ばかり回収不能になった……大池氏は潔癖なひとだったようで、失踪中にも焦げつきの補填をしようというので、いろいろと努力されたふうだった……K・Uという女性は、その辺の事情をよく知っていたらしいから、説明してもらえたらというのが、ねがいなんです……写真なんかもないからどんな顔だちのひとなのか、それさえわからない。当人が自発的に名乗り出るのを待つほか、われわれのほうには手がないわけで……あなたの不利になるようなことは、一言も言ってくれなくても結構です。失踪中の大池氏の経済活動の状態を、だいたいのところ、洩らしてくださるだけでいいので、あなた個人に迷惑のかかるようなことは、絶対にありません」
「おっしゃることは、よくわかるんですけど、どうも、あたしではなさそうだわ。お疑いになるのはそちらのご自由よ」
「あなたがK・Uという女性なら楽だったんだが、そうでないとなると、むずかしい話になる……大池氏が自殺する最後の夜、このロッジで過されたあなたは、いったいどういう方なんです?」
「栂尾ひろ子……プロではありませんが、絵描きの部類です。本籍は和歌山……東京に寄留しています。東京の住所を言いましょうか」
「ご随意に」
「世田※[#小書き片仮名ガ、300−上−5]谷区深沢四十八、若竹荘……ヒネているように見えるでしょうけど、これでまだ二十五です……なにか、ほかに?」
「昨日、はじめて大池氏にお逢いになったということだが、大池氏とはどんな関係なんです」
湖水の風景をスケッチするつもりで、伊東から歩きだしたのだったが、分れ道の近くで雨に逢って困っているところを大
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