藤捜査一課と久美子が、永久につづくかと思われるような、はてしもない言葉のやりとりをくりかえしていた。
窓のない、一坪ばかりの板壁の部屋で、磨ガラスの扉で捜査主任の部屋につづいている。たえずひとの出入りするバタバタいう音や、ひっきりなしに鳴る電話の音が聞えて来る。
長い沈黙のあとで、加藤捜査一課が、ぼつりと言った。
「なにか言ったらどうだ」
久美子は冷淡にやりかえした。
「なにも言うことはないわ」
「こちらには聞きたいことがある」
「疲《くた》びれたから、これくらいにしておいてください」
「なにも言わないことにしたのか」
「なにも言いたくないの。言ってみたって無駄だから」
「無駄か無駄でないか、誰がきめるんだ」
「あの晩のことは、全部、話したわ。あたしに都合の悪いことでも、隠さずに言ったつもりだけど、てんで信用しないじゃありませんか。このうえ、精を枯らして、捜査の手助けをすることもないから」
「手助けか。よかったね……おれは反対の印象をうけているんだ。君ほどのハグラカシの名人はいない。捜査一課の加藤組は、君にひきずりまわされて、ふうふう言っている。もう、かんべんしてくれよ……大池の弟を殺《や》ったのは君なんだろう? あっさり吐いたらどうだ」
「じゃ、あっさりいうわ。大池の弟を殺したのは、すくなくとも、あたしじゃありません。大池君代か石倉梅吉……そちらをお調べになったら?」
「大池孝平の身体からジキトキシンとブロムワレリル尿素が出てきた……君はブロミディアという薬を持って歩いていたが、あれはブロムラール系の催眠剤じゃないのか?」
「そうよ」
「あの赤酒は、孝平の兄の忠平が持薬にしていたものだ。前からロッジに置いてあって封蝋に日本薬局|方《ほう》の刻印がついていた……栓を抜いたのは誰だ?」
「あたしです」
「コップに注いだのは」
「それも、あたしです」
捜査一課は、乾いたような低い笑い声をたてた。
「それで話はおしまいじゃないか。こんな明白な罪状を、どうして君は認めようとしないんだ? それじゃ、虫がよすぎるというもんだぜ」
捜査一課は椅子から立つと、ドアをあけて、「スーツ・ケースを」と怒鳴った。連絡係の警官がスーツ・ケースを持って入ってきて、それを丸テーブルの上に置いた。
「大阪行の二等車の網棚へ捨てた君のスーツ・ケースだ。豊橋駅のホームで広報係の駅員に、アナウ
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