彼は窓に倚って茫然と暮れかかる巴里《パリー》の空をながめていたが、こちらへ振返ると当惑したようすでだまって椅子をさし示した。なにか都合が悪そうだと見てとったが、それには拘泥せず「この間は失礼した。あの浅薄なやつらをたしなめてもらうつもりでちょっと詐略をしたのだが、意外な結果になって不快をかけてしまった。どうもすまなかった」と詫びをいった。
彼はあの夜のことに触れたくないようすで始終そっぽを向いていたが、唐突《だしぬけ》にこちらへ向きなおると、なんとも形容のつかぬ愁然たる面もちで、「そんなことはどうだっていい。あらたまって詫びるほどのことでもないが、おれはあの晩、異常な経験をして、そのためにまたはじめから研究をやりなおさなけりゃならないことになったんだ」といった。そうして極度の失意をあらわしながら、「哲学的な意味で、賭博をリードするシステムなんてものはありえないというが、それはたしかに真理だ。おれはあの晩愕然とそれを悟った。おれの今までの研究はなんの価値もない。この黒い手帳に書きつけた公式や法則はそれ自身無に等《ひと》しいということを発見したんだ……おれはナ、あの晩夫婦の愚かな計画を思いとまらせるためにわざと負けてみせてやろうと思ったのだ。十年も研究したという男がだらしのない負けかたをしてみせたら、いかに無謀な夫婦でもルウレットで一旗あげようなんてことは思い切るだろう。そこでおれは出鱈目な組合せをつくって、どこまでも機械的に押しとおしてやろうとかんがえた。この方法では、絶対に勝つはずがないのだ。『まず黒を頭にした(2―2―1―3)という組合せを何度でもくりかえしてやろう』そこでいきなりはじめたところがご覧の通りの結果になった。(1―1―1―2)というでまかせな組合せで抵抗することにした。するとどうだ。またその通り目が出るじゃないか。負けようとあせればあせるほど勝ちつづけるのだ。おれがなにをいいだすつもりか貴様にはもうわかったろう。勝負にたいして絶対に無関心な人間だけがルウレットを征服出来るということだ。ルウレットと戦うにはシステムだけではなんの役にもたたぬ。それと同時に、勝負にたいする絶対な無関心……純粋に恬淡《てんたん》なところが必要だ。システムを活用できるのはそういう破格な精神の持ち主にかぎるのだ。仮りに賭博にシステムがあるとすればそのような微妙な状態においての
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