、いまタルジュ事件について話していたところだったといった。しかしその時の実感によれば、明らかにそれ以外の非常に険悪ななにか犯罪に類したことを話しあっていたのではなかったかというような気がした。
 第二はタルジュ事件に対する夫婦の興味のもちかたである。普通にわれわれがもつ社会的な興味の度を超えた異常な熱心をあらわし、しかも話題の中心は毒殺とかというところにあった。第三は毒物学の本である。自分がこれをとりあげたとき、夫の眼にはあきらかに狼狽の色がうかんだ。しかるに妻君はそれがこの場所にあるゆえんを沈着に釈義した。それはあまりに沈着すぎるためにかえって相手に疑念を抱かせるような種類の沈着で、妻君の意志を裏切ってその説明が虚偽であることを明白に申し立てていた。するとあの毒物学の本はどういう目的のため購求されたのであろう? 人間の頭の発展の仕方に幾通りも特別なスタイルがあるものではない。悲境を打開する方法を勤勉に求めずに賭博に求めるような困憊《こんぱい》した性格においては、渇望するものを手に入れる方法として容易に殺人を思いつくであろう。
 さてここまで考え来たったところで、また新たな想念に煩わされることになった。それは一種異様なもので、われながら不快を感じたのであるが、そのアイデアとは、殺人を遂行するまでの経過を冷静に観察して見たいというそれであった。いま一人の人間を殺そうとしてある人間が計画をたてている。それは細心に考案され、徐々に対象の命に迫ってゆく。さまざまな曲折を経たのち、それは成功する(或いは失敗する)。いま自分の眼前で謀殺の全過程と全段階が展開されようとしている。人間が徐々に殺されてゆく経過をこの眼で見るなどは、千載一遇の機会であらねばならぬ。しかも殺人と被殺人者の両方の面からこれをながめ、「運命」の操《あやつ》り手を楽屋から見物し、運命のやり方というものを仔細に観察することが出来る。しかし自分は悖徳者《はいとくしゃ》ではないから、殺人に加担するのではない。あくまでも観察にとどめるのは無論である。殺人者に対していかなる誘導もいかなる示唆も与えず被殺人者にたいしてはいかなる同情も憐憫も感じない冷酷な心を用意しておかねばならぬ。殺人者を嫌悪せず、被殺人者を嘲笑せぬ公平な心が必要である。自分は出来るだけ冷静に観察するつもりであるが、かならずしも殺人の成功を望んでいるので
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