ことを有難くおもえ、賭博場で自分の馬鹿がわかったと来ちゃ首を縊らなけりゃならんのだ。こんなものがシステムだなんて出かけて行ったら、モナコ三界で路頭に迷うぞ、及びもつかぬことを考えぬがいい」それ自身貧困である欧羅巴では、なんの生活力ももたぬ孤立無援のこの東洋人夫婦にとって、このような場合窮死は空想ではなく、極めてあり得べき事実なのである。この能なしの夫婦にとって賭博だけが最後の希望だった。彼等は悲運《ミゼール》から救ってくれるはずだった唯一の希望があとかたもなくケシ飛んでしまった。この打撃はどんなにひどいものだったか夫婦は虚脱したように椅子の中へめりこんでしまった。その絶望のさまはみるも無残なくらいだった。
彼はまじまじと夫婦のようすをながめていたが懐中から黒い表紙の手帳をとりだすと、数字のギッシリとつまった頁《ページ》をペラペラとはぐって見せながら「システムなんてものは無限大の数字を克服してはじめて獲得出来るようなものなんだ。おれは十年やった。しかしそのおれでさえまだいっこうにわからん。君等はおれがかならず勝つと思っているかね? そんなことはあり得ないのだ。ルウレットというのはどれほどむずかしいものかその証拠をみせてやろう」そういうと妻君に「モンテ・カルロ新聞のどこからでもいいから、勝手に読んで見たまえ」といいつけた。
彼は妻君が読みあげるのを頬杖をついてきていたが、やがて無造作に「黒へ最高賭額《マキシマム》(一万二千|法《フラン》)!」といった。
黒が出た。また黒へ賭けた。黒が出た。次は赤へ賭けた。赤が出た。たった三回で(資本の一万二千法を差引いて)五万法も勝ってしまった。彼は無頓着なようすで黒へ二度、赤へ二度、黒へ一度、赤へ三度……それからまた前へ戻って、黒へ二度、赤へ二度というぐあいに最高額を賭《は》りつづけていた。
ふしぎな現象がおきていた。われわれは遅まき乍ら、ルウレットがいま黒と赤と交互に(黒2回―赤2回―黒1回―赤3回)(2―2―1―3)という秩序立ったアッパリションを飽くことなく繰り返していることを発見した。
この単純極まる反覆を十回もつづけた後、ルウレットは別な配列へ移っていた。今度は(赤1回―黒1回―赤1回―黒2回)……また始めへ戻って(1―1―1―2)という反覆運動だった。彼は機械的にそれに追従していたが、一時間ののち、ただの一度の失
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