ず手助けしてやろうと、裾から火をつけるようにアオリ立てる。おやじの無残な死にざまは、さんざおふくろにきかされて、骨身にしみて口惜しく思っていたのだから考えれば考えるほど、どうしても生かしておけないような気になってそんなら助太刀たのむ。といったんだから、あたしの馬鹿にも恐れ韓信股くぐりさ。……どうせ以前の因縁でまっさきハナが検挙《ヤラ》れることはわかっているから、承知で刑事の袖をひかせ、ハナの身柄は大切に洲崎署へお預け願っておく。……四の日と七の日が〈那覇〉のボーイの昼番だから、いよいよ六月の四日にやろうということになり、〈遺産相続の通知〉なんていうあざとい手紙をほうぼうへ送りつける。ちょうど……その頃|店《シネラリヤ》へ現れた新参の葵という女に、どうでも身代りをたのむつもりで、〈通知〉の電話にも念をいれ、現場へ落しておくつもりで、そいつの釦をひとつむしりとる。……さて、その晩の八時頃、あたしが桃割れの鬘をかぶり、十六七の小娘に化けて、蛤橋の袂をうろついていると、案の定、古田という馬鹿がひっかかった。それをとりまいて〈那覇〉へ行く。ボーイが帰り仕度をしかけるのを見届けて〈那覇〉を出る。門前仲町で古田とわかれ、〈金城〉の二階へ駆けあがると、乾君が待っていて、こんどは二十二三、断髪、極彩色のモダン・ガールに仕立てあげる。なるたけ葵に似るように、継足をして長いソワレを着、乙にすました顔をしてまたぞろ〈那覇〉へとってかえす。見ると、ボーイがまだいるから、こいつは失敗《しま》ったと思い、なるたけ顔を見られないようにしているうち間もなくボーイが出ていった。絲満が二階からおりてきて番台に坐る。こいつに色っぽくからんでゆくと、たちまち薬がきいておおデレデレの目なし鯛。おさえつけておいて無闇にのませる。そうしてるうちにどこの人足かしらないがひどく哥兄《あにい》面をしたのがはいって来たからうまい工合だと、あとはそいつにまかせ、帰るふりをして横手へまわり、柳の幹をつたって窓からはいり、戸棚の中にかくれて待っている。まもなく、絲満があがってきて、寝台に倒れるとたちまち前後不覚。……パパ、パパ、見ていてちょうだい。いま、あなたの妄執を晴らしてよ。どうかおうけねがいます。……思い知ったか、と無闇に突いた。……階下へ降りてゆくとお前さんが待っていていうことがいい。天晴れだ、孝女だ、見あげたもんだ、といったねえ。感極まって泣きだした。……泣かしておいてお前さんは二階へあがってゆく。だいぶ経ってから角ばった包を持っておりてきた。なんだ、ときいたら、お前が脱いだ着物じゃないか、という。格別気にもとめなかったが、言わずと知れた、それがめあての三万両さ。……つぎの朝になって、乾君がのこのこと見物に出かける。その場から葵がひったてられると思いのほか、天運測り知るべからず、釦は久我に拾われて、せっかく仕組んだ芝居が丸札をだす始末。なまじっかよけいな手紙なんか出してるばっかりにかえってそれがカセになって、こんどはこっちが危くなる。あわててあることないことハガキに連ねて古田を密告。筋が通らないから、これもいけない。いろいろあせりぬいているうちに、どうやら久我にうしろ暗いところがあると見込んで、神戸くんだりまでおハナさんを尾行《つけ》てやってアラ拾いをさせる。銀行ギャングの一味だとわかったときは、君はよろこんだねえ。これをキッカケにして、あとはトントン拍子に筋が運ぶ。溜堀から服があがる。刑事がとんでくる。万事筋書通りになりました。久我は射たれて死んじゃった。……これでお国は安泰、福禄長寿……と、思ってるんだろうが、そうは問屋じゃおろさない。あたしがこれから暴露《バラ》しにゆく。……ねえ、あたしのような小供を利用して強盗を働くのは間接正犯といってね、よしんばあたしは助かっても、君は絶対に助からないよ。……あたしが手を合せてたのんだとき、そいつをきいてくれてたらこんな羽目にはならなかったんだ。善因善果、悪因悪果、早く絞首台へ追いあげられて、青洟《あおばな》をたらして往生しろ。……じゃそろそろ出かけようか。言いたいだけを根っきりしゃべったんだから、さぞききにくいこともあったでしょう。かんにんしてちょうだいね。……それではお二人さん、また法廷でお目にかかりましょう……」
と、いいながら、ストンと榻から飛びおりた。
乾がチラとハナに眼くばせをすると、ハナはしずかに立ちあがって鶴の横手へ廻った。鶴は油断なく扉のほうへあと退りをしながら、せせら笑った。
「どうするんだい? あたしを殺るつもり? 見そこなうナイ、般若!」
乾は鶴のほうへは眼もくれずに、奥の棚の上にあるラジオのところへゆくと、それをいっぱいにあけた。東家三楽の浪花節が、耳も痺れるほどがんがんと鳴りだした。
そうしておいて、乾はのっそりと鶴のほうへ近づいて行った。二人は鶏でも追いこむような恰好に両手をひろげ、左右から鶴をじりじりと壁のほうへ追いつめて行った。
どこかで虫が鳴いている。
だいぶ更けたらしく、あたりはしんとしずまりかえっていた。うす暗い電気の下で、乾とハナがせっせと床をこすっていた。蘇芳《すおう》をまきちらしたようなおびただしい血のあとを、たわしに灰をつけて、ひっそりと洗いつづけるのだった……
ちょうどその頃、葵は監房の窓から秋の夜空を眺めていた。
葵はたったいま調室からかえされたところだった。久我はもう死んでしまった。かくすこともおそれることもない。訊問されるままに、あたしに〈遺産相続〉を通知したのは久我の声でした。と自白した。自分が大名華族の和泉家の長女であることも自発的に申したてた。
久我はもう空にのぼって、あたしを見つめていてくれるのであろう。久我は決して遠いところにいるのではない。永劫のかたちでいまもあたしを抱擁していてくれるのだ。
思えばはかない縁だった。はじめて久我と逢ってからまだ四月にも足らないのに、ひとりはもう空へかえり、ひとりは汚濁《おじょく》雑爼《ざっそ》のなかへのこされた。現世につながる諸情諸因縁はみなこのようにも短かく果ないが、空へかえればそこに玲瓏たる永生が自分を待ちうけていてくれるのであろう。久我のいない世界に執着などのあるべきはずはない。
葵は空に手をのばすと、低い声でいった。
「……待っててちょうだい。いますぐ……」
翌朝、監房監守が点検にゆくと、東側八号室の女は細紐で固く喉をしめて縊死《いし》をとげていた。ちょっと胸にさわって、もう絶命しているのを見てとると、靴音高く混凝土《コンクリート》の廊下を走り去った。
こんな幸福そうな死顔ってあるものだろうか。唇のはしをすこし曲げ、まるで笑いをこらえているようなあどけない顔つきをしていた。のぼりかけた朝日が、その横顔を桃色に染める……
底本:「久生十蘭全集 7[#「7」はローマ数字、1−13−27]」三一書房
1970(昭和45)年5月31日第1版刷第1刷発行
1978(昭和53)年1月31日第1版刷第3刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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