おやじを起してきいて見ようじゃありませんか(また、二十日鼠にむかって)おめえ、冗談だと思うなら、こんなところにまごまごしていることはなかろう。さっさと帰んなヨ」
「さよう。そろそろ失敬しよう。……なあに、どうせ話はわかってるんだ」
 そのくせ、腰をあげるようすもなかった。
 酒鼻は男《ボーイ》にむかって、
「オイ、若い衆、ハエ太郎君を起して、ここまでつれてきてくれ。……おやじがなにか知ってるなら、われわれに説明する義務があるんだ。……反対に、もしなにも知らないてえなら、せっかくのご休息をお妨げしたについて、われわれ一同は、謝罪のために、大いにここで飲むことにする。……すくなくとも、小生は大いに飲む。……もう正午もすぎてるんだ。とっとと行って起してこい……」
 男《ボーイ》は頭をかきながら、
「大将を起すんですかい。……いやだなア。またがみつかれらア」
「だからヨ、みなであやまってやらあナ」
 すると、酒鼻は大きな声で叫んだ。
「わかったぞ! ……やい、ボーイ。そういう風にぐずつくところを見ると、貴様も同類だな。あの手紙は、酒場の人|集《よ》せにやった仕事だろう……。どうだ、白状しろ」
「じょ、冗談いうねえ。うちの大将はそんなんじゃねえや。……おめえらのような貧乏人を集《よ》せたって、切手代のほうがたかくつかあ、馬鹿にするな。……うちの大将ぐれえ寝起きのわるいのはねえんだからよ。それさ、あっしがいやなのは。……だがまあ、それほどいうんなら起してきまさ」
 男は板裏を鳴らしながら、酒場の奥の狭い階段を、バタリ、バタリと、のろくさくのぼっていった。やがて足音は五人の真上へくる。
 男はそっと扉を叩いている。階下では五人が、音のする方へ耳をすます。男はこんどはやや強く叩きながら、どなっている。
「大将……大将……もう正午《ひる》すぎですぜ」
 みな返事をまっている。……が、返事がない。
 割れるように扉をたたく音が、酒場じゅうをゆすぶる。
「大将……大将、工合でも悪いんですか」
 返事がない……
 男がころがるように階段を駆けおりてきた。酒鼻がボーイを抱きとめる。
「返事をしない……(顔をしかめながら、うわずったような声で、)ああ、こいつあ妙だ。……こんなことははじめてなんで……どうしたってんだろう……あっしゃ、もう」
 酒鼻がいった。
「よし! 一緒に行ってやろう。……とにかく見てみなくては……」
 そこで、硬ばった顔をしながら、二人が階段をのぼってゆく。絲満の部屋の前へくると、酒鼻は鍵口からなかをのぞいた。
「……雨戸がしまってるんだ。……真っ暗でなにも見えやしない」
 二人で力一杯に扉を叩く。……依然として返事がない。なにかひどく臭う。
「……オイ、いやな臭いがするじゃないか……(なにか考えていたが、急に顔色をかえると、おしつけるような声で)俺は知ってるぞ、この臭いを……。おい、若い衆! 早く交番へいって巡査をよんでこい! 早く!」
 ボーイが駆けだす。酒鼻は男のあとからのっそりとおりて来た。すこし震える声で、
「巡査をよびにやった。……扉がしまっていて、……それに妙な臭いがするんだ」
「どんな臭いですか」
 と、二十日鼠がたまげたような顔できいた。
「……行って、かいでごらんなさい。すぐわかるから……」
 二十日鼠は動かなかった。

「いつもこんなによく寝こむのか」力一杯扉を叩いてから、巡査が男《ボーイ》にたずねた。「そうじゃない? ……じゃ、ひとつ開けて見よう。……鉄槓杆《かなてこ》があるかね? ……なかったらどこかへ行って借りて来い」

 男が鉄槓杆を担いできた。巡査は槓杆をうけとると、扉の下へそれを差込んで、ぐいともちあげた。蝶番《ちょうつがい》がはずれた。錠の閂下《した》がまだ邪魔をしている。うん、と肩でひと押し。扉は内側へまくれこんだ。
 むっとするような重い臭いが鼻をつく。手さぐりで壁の点滅器《スイッチ》をおす。……照明がはいって、そこで虐殺の舞台装置が、飛びつくように、一ペンに眼の前に展開された……。
 敷布のくぼみの血だまり、籐椅子の上の金盥《かなだらい》には、赤い水が縁まで、なみなみとたたえられている。血飛沫《ちしぶき》が壁紙と天井になまなましい花模様をかいている。……そのすべてから、むせっかえるような屠殺場の匂いがたちのぼっている。寝台と壁の間の床の上に、裸の人間の足……乾いて小さくしなびた老人の蹠《あしのうら》がつきだされていた。
「おや! あそこにいた。……ひどいことをしやがったな」
 巡査はハンカチで首のまわりを拭いた。
 気抜けしたような男《ボーイ》のうしろには、五人の客が、明るい電灯の光の下で、ねっとりとかがやく血だまりを見ていた。藁蒲団をしみ通した血が、ポトリ、ポトリ、と床のうえにしたたるのがは
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