にかく見てみなくては……」
 そこで、硬ばった顔をしながら、二人が階段をのぼってゆく。絲満の部屋の前へくると、酒鼻は鍵口からなかをのぞいた。
「……雨戸がしまってるんだ。……真っ暗でなにも見えやしない」
 二人で力一杯に扉を叩く。……依然として返事がない。なにかひどく臭う。
「……オイ、いやな臭いがするじゃないか……(なにか考えていたが、急に顔色をかえると、おしつけるような声で)俺は知ってるぞ、この臭いを……。おい、若い衆! 早く交番へいって巡査をよんでこい! 早く!」
 ボーイが駆けだす。酒鼻は男のあとからのっそりとおりて来た。すこし震える声で、
「巡査をよびにやった。……扉がしまっていて、……それに妙な臭いがするんだ」
「どんな臭いですか」
 と、二十日鼠がたまげたような顔できいた。
「……行って、かいでごらんなさい。すぐわかるから……」
 二十日鼠は動かなかった。

「いつもこんなによく寝こむのか」力一杯扉を叩いてから、巡査が男《ボーイ》にたずねた。「そうじゃない? ……じゃ、ひとつ開けて見よう。……鉄槓杆《かなてこ》があるかね? ……なかったらどこかへ行って借りて来い」

 男が鉄槓杆を担いできた。巡査は槓杆をうけとると、扉の下へそれを差込んで、ぐいともちあげた。蝶番《ちょうつがい》がはずれた。錠の閂下《した》がまだ邪魔をしている。うん、と肩でひと押し。扉は内側へまくれこんだ。
 むっとするような重い臭いが鼻をつく。手さぐりで壁の点滅器《スイッチ》をおす。……照明がはいって、そこで虐殺の舞台装置が、飛びつくように、一ペンに眼の前に展開された……。
 敷布のくぼみの血だまり、籐椅子の上の金盥《かなだらい》には、赤い水が縁まで、なみなみとたたえられている。血飛沫《ちしぶき》が壁紙と天井になまなましい花模様をかいている。……そのすべてから、むせっかえるような屠殺場の匂いがたちのぼっている。寝台と壁の間の床の上に、裸の人間の足……乾いて小さくしなびた老人の蹠《あしのうら》がつきだされていた。
「おや! あそこにいた。……ひどいことをしやがったな」
 巡査はハンカチで首のまわりを拭いた。
 気抜けしたような男《ボーイ》のうしろには、五人の客が、明るい電灯の光の下で、ねっとりとかがやく血だまりを見ていた。藁蒲団をしみ通した血が、ポトリ、ポトリ、と床のうえにしたたるのがは
前へ 次へ
全94ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング