天候や時化のことをちっともけいさんに入れんかったのは、いかにもおろかなことでありました。こういうのをたぶん摂理というのでありましょう。

 あの夜、花子が苦しみはじめたとき、狭山はいくども私を殺そうと考えたといった。あまり身体の廻りに詰めものをかったので、皮膚の呼吸が充分でなくなり、それに不随意な恰好と冷えで胃痙攣を起したのであった。私がいい工合に土間にひきさがらなかったらたぶん私は狭山に殺されていたろう。神経過敏もこれで捨てたものでないと思った。
 それにしても不審なことがある。それをたずねてみた。
「俺はじかに手でさわって見たが、たしかに本物の膃肭獣だったぞ」
 すると狭山は
「わしはもう一匹のやつを炊事場の水槽《タンク》の中に飼ってありましたで、薪小屋へ花子に息をつかせにいくときは、そいつを身代りに寝台の下に置いたのであります」と事もなげにこたえた。
 夜の十一時頃でもあったろうか。急に息苦しくなり、パチパチともののはぜる音がする。眼をさまして見ると、もう足元の床までチョロチョロと火が這ってきていた。仰天して小屋を飛びだし、夢中で渚まで駆け、ひと息ついてからうしろを振り返って見る
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