なっても、完成を見るにいたらない。翌年(大正元年)五月の開所式に間にあわせるため、やむなく各二名ずつの大工、土工と、一名の剥皮夫を残留越冬させて仕事を継続させることにし、監督に清水という水産技手をあたらせた。
 当時、私は樺太庁農林部水産課の技師で、膃肭獣猟獲事業の主任の地位にあり、五月八日の開所式に先立ち、諸設備の完成を見届けるため、部下の技手を一名従え、三月上旬、その年最初の郵便船に便乗し、泛氷《はんひょう》の危険をおかして海豹島に赴くことになった。開所式には、米露の技術員も来臨するわけで、見苦しからぬよう諸般の整備をしておく必要があったのである。

 海豹島滞留日誌

    第一日
 一、三月八日、大泊《おおとまり》港を出帆した第二小樽丸は、翌々十日、午前十時ごろ、海豹島の西海岸、四浬ほどの沖合に到着した。
 風が変って海霧が流れ、雲とも煙ともつかぬ灰色の混濁の間から、雪を頂いた、生気《せいき》のない陰鬱な島の輪郭がぼんやりとあらわれだしてきた。しかし、それも束の間のことで、瘴気のような不気味な霧がまた朦朧と島の周りを立ち迷いはじめ、あたかも人間の眼に触れるのを厭うように、急速
前へ 次へ
全51ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング