るべき船は来ずに夜になった。
 正午ごろから、膃肭獣はしょんぼりと首を垂れ、元気のないようすをしていたが、夕方近くになると、床の上に腹這いになって、苦しそうに呻きだした。狭山の悲嘆と狼狽ぶりはめざましいばかりで、ありったけの毛布と襤褸で膃肭獣を包み、人間にでもものをいうようにやさしい言葉をかけながら、錯乱したように膃肭獣の背中をさすりつづけていたが、膃肭獣はだんだんに弱って唸声もあげないようになり、呼吸をするたびに背筋が大きく波うち、切なさそうに手足の鰭で床を打った。
 狭山は紫がかった赤い頬に涙を伝わらせ、膃肭獣がするように両手で胸を打って、しゃくりあげて泣いていたが、自由に曲がらぬ足をうしろに突きだし、両手を使って物狂わしく膃肭獣のまわりを匍いだした。しばらくの間、うそうそとよろめきまわっていたが、膃肭獣を腕の中に抱えこむと、突然、甲高い声で笑った。眼は狂暴な色を帯びて異様に輝き、首は発揚性昂奮ではげしく前後左右に揺れている。氷と岩で畳まれた孤島の一軒しかない小屋の中に、私は躁暴狂になりかけている巨人のような男と二人きりでいる。私の境遇はすこぶる危険なものになってきた。
 小屋の外
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