れば、死亡したと考えるより、まだこの島に生存していると考えるほうが妥当である。
 感傷的な探検の結果、どこにも彼女がいないということが確実になったが、それにもかかわらず、論理的には、彼女は絶対にこの島に生存していなくてはならぬのである。
 彼女はどこにいる? 生存可能の限界を条件とすれば、遮蔽物もない零下二〇―三〇度の凛烈たる大気の中に、持続的に人間が生活し得るはずがないから、どうしても人夫小屋の中でなければならない。しかるに、小屋の中には三個の生物しか住んでいない。私と狭山と膃肭獣である。
 論理の必然に従って、この小屋の中に絶対に彼女が生存していなければならぬとすると、この三個の生物のうちのいずれかが彼女でなければならぬことになる。ところで、私はかくいう私で、狭山は依然として狭山以外のものではない。
 私はものを思うことに疲れ、長くなったまま眼をとじていたが、なんともいいあらわしがたい率然たる感情に襲われ、急に木箱の上にはね起きた。
 この島はなにか不可知な神秘力に支配されていて、ここに来るものは、みな膃肭獣に変形されてしまうのではなかろうかという考えが、なんの前触れもなく、秋の野末の稲妻のように私の脳底にきらめきいり、深い闇に包まれていたもののすがたを、一瞬にして蒼白く照らしだした。
 そういえば、狭山は一日ごとに膃肭獣らしくなっていく。顱頂は次第に扁平になり、喉の贅肉は日増しに奇妙なふうに盛りあがってきて、いまはもう頤と胸のけじめをなくしかけている……わずかに、人間のかたちをとどめている手や足も、間もなく、五本の溝のついた、グロテスクな鰭に変形してしまうのだろう。とすれば、あの膃肭獣こそは、彼女のあさましい変容なのだと思うべきである。
 幾万という膃肭獣が、毎年、夏になると、なぜこの島にばかり集ってくるのか、その謎をそのとき私ははっきりと解いた。この島の渚で悲し気に咆哮する海獣どもは、この島の呪いによって、生きながら膃肭獣に変えられた不幸な人間どもなのであった。そうして、一日も早く人間に転生しようと、撲殺されるためにはるばる南の海から、この不幸な故郷へやってくるというわけであった。
 最初の朝、この島を一瞥するやいなや、救いがたい憂愁の情にとらえられたわけも、これで納得できる。なぜとも知らず、なにに由来する憂愁か、理解することができなかったが、今にして思えば
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