は、あまりにも唐突だが、これは一昨日の朝まで、木箱や樽の雑多な堆積のうしろに落ちていたので、障壁をつくるとき、それらを扉の前に移したため、偶然な事情によって、見得るはずもないものが眼に触れることになったわけである。
 眠りにおちるとともに、とりとめのない疑念は消え、もうすっかり忘れていたが、花簪を見るなり、また思いだした。土間の古釘や木片にまじって小さな紙玉がひとつ落ちている。皺をのばして見ると、柱暦からひきちぎった紙で、櫛から拭きとった女の長い髪が十本ほど丸めこまれてあった。柱暦は昨年十二月廿七日の日附であった。
 狭山と五人の焼死者のほかに、誰かもうひとり島にいたのではなかろうかという想像は、これで動かすべからざる事実になった。
 残留を命じた六人のほかに、もう一人の人間が島にいた。七人目の人間はまだうら若い娘で、少くとも十二月二十七日まで、この島で生活していたのである。
 十二月二十七日――
 本島とこの島との交通は、昨年、十一月十四日に敷香を出帆した定期船、大成丸を最後に杜絶し、今年、三月八日、私が便乗してきた第二小樽丸で開始された。その間、いかなる汽船も島へ寄航していない。危険な流氷と濃霧のため、この近海へ近づくことが出来ないのである。
 絶対に出て行く方法がないのだから、花簪の主はまだこの島に居なければならぬ理窟になるが、われわれの小屋は直接第三紀の岩盤の上に建てられたもので床下などなく、天井は※[#「木+垂」、第3水準1−85−77]木が剥きだしになっていて、下から天井裏を仰ぐことができる。四方の壁は裸の板壁、押入は一つもない。獣皮塩蔵所は焼棒杭の上に屋根の残片が載っているばかり、薪置小屋は屋根を差掛けた吹きぬけの板囲いである。
 私は靴にカンジキをとりつけ、小屋の横手についた雪道を辿って上のほうへのぼって行った。
 島は西海岸のほうで急な断崖になり、東側はややゆるい勾配で、夏期、膃肭獣の棲息場になる砂浜の方へなだれ、その岸から広漠たる氷原が霧の向うまでつづき、オホーツク海の水がうごめいている。海からあがった霧が巉《ざん》岩に屍衣のようにぼんやりと纒いつき、黄昏のような色をした雪原の上に海鴨が喪章のように点々と散らばっている。悲哀にみちた風景であった。
 骨を刺すような冷たい風が肋骨の間を吹きぬけてゆく。蹣跚たる足どりで頂上の小高いところまで行くと、岩
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