にはこの世の終りのような物凄い朔風が吹き荒れ、零下廿度の凛烈たる寒気が大地を凍りつかしている。ものの十分と立っているわけにはいくまい。結局、躁暴発作の難を避けるには、入口の土間にたてこもるほかないので、狭山を刺激しないように注意を払いながら、寝具と若干の食料をソロソロと土間に運びいれ、扉に鍵をかけたが、それだけでは安心できないので、扉の前に木箱と樽を積み重ねて障壁《バリケード》をつくり、万一のために武器を用意した。武器というのは一本の短艇《ボート》の鉄架《クラッチ》なので、これほど手頼りのない武器もすくない。非力な手に握られた一本のクラッチが、身を護るのにどれほどの力を貸してくれることか、心細いかぎりであった。
 土間の煖炉に火を燃しつけたうえで、不意の闖入に備えるために障壁に凭れて眠ることにした。狭山が無理に扉を押し開けようとすると、樽か木箱の一つが私の頭上に落下してくるはずで、それによって眼をさまし、いちはやく戸外に避難し得る便利があるからである。とはいえ、たとえ小屋をぬけだして島の端まで逃げのびることができたとしても、その末はどうなるのであろう。氷原の上には酷烈な寒気が私を待ちかまえ、その端にはオホーツク海の怒濤が轟くような音をたてて荒れ狂っている。私は鉄架を握りしめ、障壁に凭れて眼を閉じたが、恐怖と憂悶に胸をとざされ、とうとう一睡もすることができなかった。狭山の哄笑と咆哮は、夜明けまでつづいていた。

    第四日

 一、夜のひき明けごろから風が凪いで、島のまわりを海霧が匍い、水の底のようなほの明るい朝になった。
 そのころから狭山の咆哮がきこえなくなり、なにか手荒くガタピシさせる音がひびいてくる。隣の部屋にどんな変化が起ったか知りたく思い、扉に耳をおしつけていると、狭山の重い足音が近づいてき、扉越しに、あなたはそこでなにをしているのかとたずねた。意外にも沈着な体で、声も病的なところがなく、言辞も妥当である。
「貴様が泣いたり咆えたりして、うるさくて眠れないから、ここへ移ったのだ」とこたえると、狭山は、ちぢこまったように詫びてから、あいつが死んでしまうのかと思って悩乱したが、明け方ごろからおさまって、元気になった、という意味のことをくりかえし、飯の仕度ができたから、こっちへ出て来てくれといった。
 狭山がほんとうに正気にかえったのか、中間状態にあるのか、
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