も、ひとつ残らず焼けてしまい、この二た月の間、海鴨と卵だけで命をつないでいたのだといった。
 一、八時頃になると、霧の中で雪が降りだし、沖から風が唸ってきてひどい吹雪に変った。島全体を雪の塊にしてしまうような猛烈な吹雪で、風は咆え、呻き、猛り狂い、轟くような波の音がこれに和した。小屋は絶えずミシミシと鳴り、いまにも吹き飛ばされてしまうかと思うほどだった。
 夜半近くなると、風はいよいよはげしくなって行ったが、天地の大叫喚の中で、なんとも形容し難い唸り声をきいた。暴風の怒号の間を縫いながら、地下の霊が悲しみ呻くようなかぼそい声が、途絶えてはつづき途切れてはまた聞こえ、糸を繰りだすように綿々と咽びつづける。得体の知れぬこの声が耳について、とうとう朝までまんじりともすることができなかった。

    第二日

 一、吹雪はやんでいたが、風の勢いはいっこうに衰えない。氷の上を掃きたて、岩の破片と氷屑《セラック》をいっしょくたに吹き飛ばしながら、錯乱したように吹きつづけている。この世の終りのような物凄い※[#「風にょう+炎」、第4水準2−92−35]風《ひょう》だった。
 朝食後、真赤に灼けた煖炉の傍に机をすえて報告書を書き出したが、船のことばかり気にかかって捗らない。この大時化では予定した日に島を離れることなどは望めない。氷と岩のほか、なにひとつ見るものもない荒凉たる孤島で、あてもなく幾日か暮さなければならぬと思うと、漂流者のように暗澹たる気持になり、仕事をつづける気にはなれない。
 一、いつの間にか仮睡をし、眼をさますと夜になっていた。水を飲もうと炊事場の水槽《タンク》のあるほうへ行きかけ、ふと狭山の寝台の下に、茶褐色の犬のようなものが蹲っているのを発見した。しゃがみこんで眺めると、二歳ほどの膃肭獣の牝で、しなやかな背中をこちらへ向け、前鰭で頭を抱えるようにして、おとなしく眠っていた。これが昨夜の唸声の主なのであった。
 どうしてこんなところに膃肭獣がいるのかとたずねると、狭山は、去年の秋、皆にはぐれ、海と反対の追込場の方へはいあがってきたのを捕えて飼っておいたのだが、子供のようになついているとこたえた。寝台の下に手を入れて膃肭獣の背中を軽く叩くと、膃肭獣は眼をさまし、伸びをするようなことをしてから、ヨチヨチと寝台の下から匍いだしてきた。
 しなしなと身体を撓《しな》わせ
前へ 次へ
全26ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング