う話か」
 清五郎はあわてて手で抑えて、
「どうか、もうすこし小さな声で。……へい、そのことなんでございます。……ここではお話しにくうございますので、お手間は取らせませんから、どうか、そのへんまで……」

   赤痣《あかあざ》

 万年橋の鯨汁《くじらじる》。鯨一式で濁酒《どぶろく》を売る。朝の早いのが名物で、部屋で夜明しをした中間や朝帰りのがえん[#「がえん」に傍点]どもに朝飯を喰わせる。
 清五郎は、なにかよっぽど思いつめたことがあるふうで、注がれた濁酒に手も出さずにうつむいていたが、やがてしょんぼりと顔をあげると、
「こうなったら、なにもかもさっくりと申しあげますが、……阿波屋の人死《ひとじに》は、じつは、あっしのせいなんで……」
 顎十郎はチラととど助と眼を見あわせてから、
「えらいことを言いだしたな。阿波屋の六人が死んだのは、お前のせいだというのか」
「へえ、そうなんで」
 と言って、ガックリとなり、
「それに、ちがい、ございません」
 顎十郎は急にそっけのない顔つきになって、
「おい、清五郎、お前はなにか見当ちがいをしていやしないか。いまはこんな駕籠舁だが、ついこのあいだまでは北番所の帳面繰り。ひょんなことで阿波屋の六人を手にかけ、退っぴきならないことになりましたが、以前のよしみで、なんとかひとつお目こぼし、……なんてえ話なら聴くわけにはいかない。なるほど俺は酔狂だが、下手人の味方はしねえのだ」
 清五郎は、額にビッショリと汗をかいて、
「まあ、待ってください。どのみち逃れぬところと観念しておりますが、こんなところで思いがけなくお目にかかったのをさいわい、せめて道すじだけでも聴いていただきたいと思いまして……」
 顎十郎はマジマジと清五郎の顔を眺めてから、
「それで、いったいどんなぐあいに殺《や》った」
「どんなふうに殺したとたずねられても困るんでございますが、しかし、直接手は下さなくともあっしが殺したも同然なんで……」
「口の中でブツブツ言っていないではっきり言ってみろ」
 清五郎は、ほッとうなずいて、
「……ことの起りは守宮《やもり》なんでございます」
「守宮……、守宮がどうしたというんだ」
「いきなり守宮とばかり申しあげてもおわかりになりますまい。いま、くわしく申しあげますから、ひと通りお聴きとりねがいます」
 と言って、顫える手で濁酒の茶碗をとりあげてグッとひと息にあおりつけ、
「……話はすこし古くなりますが、ちょうど今から三年前。阿波屋の離れ座敷を普請《ふしん》することになって、あっしがその建前《たてまえ》をあずかったんでございます。……このほうにはべつに話はございません。日数を切った仕事でありませんから、じゅうぶん念を入れ、存分な仕事をしたんでございます」
「うむ」
「……すると、今年の二月ごろ、あっしのところへ阿波屋さんから迎えが来ました。なんの用かと思って行って見ますと、離家のことなんだが、夜ふけになると、風もないのに木の葉のすれあうような微かな音がし、そのあい間あい間にハーッと長い溜息が聞えてくる。そればかりならまだいいが、ウトウトと眠りにつくと、黒雲のような密々としたものが天井から一団になって舞いくだってきて胸や腹へのしかかり、朝まで魘《うな》され通しに魘される。あの離家になにかさわりでもあるのではないかと思われるから、とっくり調べてもらいたいという埓もない話なンです。……なにをくだらねえと思いましたが、まさかそうも言われないから、いやいやに離家へ行って、床下から檐裏《のきうら》、舞良戸《まいらど》の戸袋というぐあいに順々に検べ、最後に押入れの天井板を剥がして天井裏へあがって行きました。すると……」
「すると?」
「えらいものを見ました」
「どうした、急に顔色を変えて。……なにか怖いものでも見たのか」
 あふッ、と息を嚥んで、
「……ちょうど八畳の居間のまうえあたりに梁が一本いっていて、それに垂木が合掌にぶっちがっているところに、六寸ばかりの守宮が五寸釘で胴のまんなかをぶっ通され梁のおもてに釘づけになっているンです。垂木の留《とめ》を打つとき、はずみでそんなことになったんだろうと思いますが、そうしようと思っても、こうまでうまくはゆかなかろうと思われるくらい、見事に胴のまんなかを……」
「それがどうしたというんだ」
 ひ、ひ、と泣ッ面になって、
「いくら臆病なあっしでも、それだけなら、かくべつ、びっくりもしゃっくりもしねンですが、なに気なく糸蝋燭《いとろうそく》のあかりをそのほうへ差しつけて見ますと、思わず、わッと音をあげてしまった。……見ますとね、どこからやって来るのか、なん千なん百という一寸ばかりの守宮の子が梁の上をチョロチョロチョロチョロと動きまわっている。蚯蚓《めめず》ほどの守宮の子が梁
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