ながらあっしのあけた破風の穴からソロソロと屋根裏へ入って行ったんです」
「よし、じゃ降りて来るところを。……感づかれるといけないから、あまり大勢でないほうがいい。……そんなら、ひょろ松、お前とふたりで」
籬《まがき》のそばに、まだ花のない萩のひとむらがある。
アコ長とひょろ松がそのうしろにかがんで黒い口をあけた破風のほうを見あげていると、ほどなくその穴からお節の頭と肩があらわれてきた。右手に鼻紙につつんだ菓子づつみのようなものを持ち、たゆとうように梯子の桁を踏みながらソロソロと下へおりて来る。
窺うようにあたりを見まわして堀につづく油蔵のほうへ行こうとする。唐突に萩のうしろから立ちあがった顎十郎、ツイと前へまわってお節の前へ立ちはだかり、
「お節さん、いま妙なところから出て来ましたな。いったい、どんな用があって屋根裏なんぞへあがって行ったんです」
きめつけるように言って、手を伸ばしてお節が持っている紙づつみをツイと取りあげ、紙づつみをひらいて見るとついさっき屋根裏で見た釘づけの蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]。
「おう、妙なものですな、いったい、こりゃなんです」
お節はパッと顔を染めて、
「お恥ずかしゅうございます。これは恋の咒《まじな》いの蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]。……数負さまが阿波屋に居候になっているのを嫌がられて、どうでも立退くとおっしゃいます。ひとの話によりますと、生きた蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]を想う方の部屋の天井へ釘づけしておきますと、脚がすくんでどうしても立退けなくなるということ。ひとまわりごとに黒門町《くろもんちょう》の四ツ目屋へ行って生きた蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]を買い、数負さまの天井へ打ちつけておりました。……咒いの秘伝では、ひとまわりを一日でもすごすとその人の身に祟りがあるということ。早く新しいのと取りかえねばならぬと思いながら、甚松の取りこみにまぎれてそれが遅れ、とうとうこんな始末。……どうぞお察しくださいまし。憫れだと思ってちょうだい」
泣くつもりなのか、そろそろと油蔵の壁のほうへ寄って行って、その壁へ身をもたせたと思うと、どうしたのか、突然たまぎるような声で、
「あッ嫌ッ、なにかあたしの足に……」
アコ長が間髪をいれずにお節のほうへ飛んで行って、その足もとを見ると、足の下のくさむらの中に一疋の大きな蝮蛇《まむし》。青黝《あおぐろ》い背を光らせながらサラサラと草を押しわけてそばに積んである油壺の中へニョロリと入ってしまった。
アコ長はありあう木ぎれでピッタリと油壺の蓋をふさぐと、
「ひょろ松、わかった。阿波屋の六人のかたきは、この蝮蛇だったんだ。……これは、阿波に棲んでいるくろはみ[#「くろはみ」に傍点]という蝮蛇で、江戸にはいないやつ。油壺をつつむ筵の中へでもまぎれこんでここまで来たものにちがいない。……これであの赤痣の謎もとける。……蝮蛇がひとを咬むのは八十八夜から十月の中ごろまで。阿波屋の人死もちょうどそのあいだ。なぜそこに気がつかなかったのか」
と言って、蔵の壁に喰いついて顫えているお節の肩へ手をかけ、
「お節さん、蝮蛇に咬まれなすったか」
お節は首を振って、
「いいえ、大丈夫」
「それはよかった。……これで新田さんの病いのもともわかったから、きっと助けてあげます、あなたはこの蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]を堀の水へかえして、早く咒いをといて来なさい」
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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