ろ、いま離家へ行って刀を持って来てぶった斬ってやるから。……くそッ、どんなことがあっても、それまでは死にはしないから……。おのれ、待っておれ……」
 恐ろしものがすぐそばにでもいるように、取りとめのない囈言《うわごと》をいいながら、つかみかかるような身振りをする。
「畜生ッ、……脇差を……、早く脇差を……そらそら、逃げてしまうから」
 脇差を捜そうとするのか、急にムックリと起きあがってあらぬかたへ匍い出そうとする。
 ひょろ松は顎十郎のほうへ振りかえって、
「阿古十郎さん、いったいなにを言ってるンでしょう。なにかしきりに言いたがっているが、訊きだす方法はないもんでしょうか」
「こういうひどい熱だからちょっと覚束《おぼつか》ないが、やるだけやって見よう」
 と言って、数負の耳に口を寄せ、
「新田さん、新田さん、阿波屋のかたきというのはなんのことです。ひと言でいいから言ってください。わたしたちがきっとぶった斬ってやりますから。……ねえ、たったひと言」
 数負は、こちらの言うことがまるきり耳へとどかないようすで、眦《まなじり》も張りさけるかと思うばかりにクヮッと眼を押しひらき、ただ、脇差、脇差、と言うばかり。アコ長は歎息して、
「こいつはいけねえ。ひと言いってくれさえすりゃあ、なんとか手がかりがつくのだが、……」
 そう言っているうちにも、おいおい引く息ばかりになって、どうやら覚束ないようすになってきた。
「椿庵先生、もうちょっとのあいだ、命を取りとめるように手を尽してみてください。阿波屋の怪死の秘密はこいつの口ひとつにかかっているのだから」
「よろしい、なんとか及ぶ限りやってみましょう」
 ふと気がついて見ると、今まで部屋のすみで泣き伏していたお節の姿が見えない。ひょろ松は怪訝な顔で、
「おや、いまいたお節という娘はいつ出て行きましたろう。なにかあの娘にいわくがありそうだからちょっと問いつめてやろうと思っていたんですが」
 と、言っているところへ大工の清五郎が駈けこんで来て、怯えたような低い声で、
「……妙なことがあります。お節さんが、梯子をのぼって、いま屋根裏へ入って行きました」
 アコ長は、キッとして、
「お節が、屋根裏へ?……そりゃほんとうか。見間違いじゃないだろうな」
「見間違おうたってこのいい月。決して間違いはありません。……こう、怯《お》じたように後さきを見
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