ご承知の通り、守宮なら灯に集ってくる虫を喰うために檐下や壁を這いまわりますが、蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]のほうは、もともと水の中にいる虫。せいぜい川岸の草のあるところぐらいしかあがって来ぬものです」
とど助は眼玉を剥いて、
「すると、どいつかワザワザこんなところへ蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]を釘づけしに来たものがあると見えますな」
「まず、そのへんのところ」
と言って、天井板の上にうっすらたまっている埃を指さし、
「ごらんなさい、その証拠はここにあります」
とど助と清五郎が差しつけられた明りの下を見ると、埃の上に足袋はだしの足跡がひとつ残っている。
「大工ともあろう清五郎が足袋はだしなどで屋根裏へ上るなんてえことはない。言うまでもなく、これは別な人間の足跡です」
と言って、清五郎に、
「おれたちが入って来たほかに、天井裏へあがる口があるか」
「常式どおり、広座敷の押しこみの天井板が三枚ばかり浮かしてありますから、這いこむとすればそこなんでございましょう」
「離家にはいま誰が寝起きしているんだ」
「肥前の松浦様のご浪人で新田数負《にったかずえ》という若いおさむらいがこの春から寝泊りしております。父親というひとは蘭医で、阿蘭陀の草木にくわしい人だそうで、新田というひとも離家で朝から晩まで本ばかり読んでおります」
「それはなんだ、阿波屋の親戚でもあるのか」
「いいえ、縁引きのなんのじゃありません、早い話が居候《いそうろう》。……話はちょっと時代めくンですが、今年の春、阿波屋の末娘のお節さんが、五人ばかりの踊り朋輩といっしょに向島へ花見に行った帰り道、悪旗本にからまれて困っているところへその浪人者が中へ入り、ひょっとするといやな怪我でもしかねなかったところを助けられたそのお礼、いずれ仕官するまでという気の長い約束でズルズルいすわっているわけなんです」
アコ長はなにか考えこんでいたが、また唐突に口をひらき、
「清五郎、お前、その浪人者に守宮の話をしたろうな」
「へい。なにしろ、その浪人者が離家へ居候するということですから、あっしもなんとなく気がとがめまして……」
「それは阿波屋で人死が出る以前のことだろうな」
「さようでございます。その浪人者が離家へいつくようになってからひと月ほどたった後。……なんでも八十八夜のすぐあとのことでした
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