《すいさいかつがん》、師匠とも先生ともあおいできた仙波阿古十郎。
 むこうは、ふっつりと縁を切ったつもりかも知れないが、こっちは切られたとは思ってない。駈けつけて行って袖にすがれば、いつでも智慧を貸して貰われると思っている。
 本来なら、自分のほうが棒鼻につかまって引っかついで行くべきところを、こちらが師匠にかつがれて駕籠の中で膝小僧をだいて揺られているというんだから、これは、どうも気がさすのが当然《あたりまえ》。
 もっとも、ひょろ松のほうで、おい、駕籠と大束をきめこんだわけじゃない。事実のところザックバランに言えば、嫌がるのを無理やりに乗せられた……。
 五月五日は、府中|六所明神《ろくしょみょうじん》の名代の暗闇祭《くらやみまつり》。大国魂《おおくにたま》さまの御霊遷《みたまうつし》のある刻限前に、どうでも府中まで駈けつけねばならぬ用事があって、甲州街道の駕籠立場まで来て、むこうっ脛の強そうなのを選んでいると、いきなり顎十郎にとっつかまってしまった。
「おお、ひょろ松じゃないか。大仰《おおぎょう》な旅支度で、いったい、どこへ行く」
 正月の狸合戦以来、かけちがって半年近くあわなか
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