なものがありましたか」
「滅相もない。古式厳格の暗闇祭。なんでそんなものがございますものか。まっ暗もまっ暗、真《しん》の闇《やみ》でございます」
 顎十郎は、なにかしばらく考えていたが、唐突に口を切って、
「ねえ、ひょろ松の旦那、それからとど助さん、不思議なことがあるもんだ、弓というものは相当な距離がなければ射てぬもの。それをですな、鼻をつままれてもわからないようなまっ暗な中で、一人ならず四人まで、ぼんのくぼを射抜くなどということが出来るものでしょうか」
 とど助が、引きとって、
「いやア、アコ長さん、人間の眼ではとてもそんなことは出来ませんな。殺された四人が近江屋一家の者だとしたら、いよいよもって奇怪。なぜかと言って、三人ならびになって隙間もなく目白押しをして行く中から、この暗闇の中で、必要な人間だけえらんで射ころすなんぞということは、まずもって絶対に不可能」
「いかにもおっしゃる通りだ。御霊遷がすむまで待つよりほかはないが、殺されたのが近江屋の四人ならば、こりゃア、ちょっと物騒です」
 ひょろ松は、せきこんで、
「そんなことばかり言ってたってしょうがない。現実に四人までそんなふうにして殺されているんだから、いずれにしてもなにかの方法で殺ったのに相違ない。近江屋の一家に隠れた悪業《あくごう》があって、大国魂《おおくにたま》さまが罰をあたえるためにお神矢《かみや》を放ったというわけでもありますまい。いったいどんなふうにして殺ったものでしょう」
 アコ長は、いつものヘラヘラ調子になって、
「木曽あたりの猟人《かりうど》には、夜でも眼の見える猫眼梟眼《ねこめふくろめ》というのがあるそうだ。たぶん、そんな手あいでも殺ったかも知れんな」
 今まで黙っていた藤右衛門、出しぬけに膝をうって、
「お話の最中ですが、猫眼というなら、そういうのがこの町に一人いるんでございます」
 顎十郎は息を呑んで、
「えッ、それは、いったい、どういう男なんでございます」
「近江屋の分家で黒木屋五造というごく温和《おとな》しい男なんですが、生れつき夜眼が見え、まっ暗がりの土蔵なんかでも、龕灯《がんどう》いらずに物もさがせば細かい仕事もするという奇態な眼を持っているので、この町じゃ誰も本名を呼ばずに猫眼、猫眼といっております」
「ほほう、それで、その猫眼は御渡御の行列についているんですか」
「いま申したように近江屋の甥ですから御神事に外れるということはありません。今年は、六所さまの御物の金銅弭黄黒斑漆《きんどうやはずきくろまだらうるし》の梓弓《あずさゆみ》を持ってお伴しているはずでございます」
「猫眼が梓弓を……」
 と、ひとり言のように呟いてから、アコ長、言葉の調子を変えて、
「つかぬことをお伺いするようですが、近江屋の分家というのは、まだほかにもあるのですか」
「いいえ、分家にも親類にも黒木屋だけなんでございます」
「ははア、なるほど」

   証拠

 それから、半刻。
 ようやく御霊遷の儀がおわると、また警蹕を合図に、お仮屋、御本殿御渡御の道すじの篝火はもちろん、全町いっせいに灯火がつけられる。今までの暗闇にひきかえ、今度はまっ昼間のような明るさ。夜もあけかかってきたと見えて、梢の上がほのぼのと白くなる。
 それッ、というので、ひょろ松を先頭にしてアコ長、とど助、藤右衛門の四人が白砂を蹴って駈けだす。
 行って見ると、なるほど、藤右衛門の言った通り、本殿のほうから五六間おきに一人ずつ、近江屋鉄五郎、お源、お沢、お源の許婚者の青梅屋の新七という順序で、いずれも鷹の羽朱塗のお神矢で深くぼんのくぼを射られ、水浅黄の水干の襟を血に染めて俯伏せになって倒れている。
 顎十郎は、かがみこんで死体をひとつずつ念入りに検めていたが、そのうちにのっそりと立ちあがって、藤右衛門のほうへ振りかえり、
「……ご覧の通り、どの死体も、見事に必殺の急所を射抜かれています。夜眼、猫眼はとにかく、よほどの弓の上手でなければ、こういう水ぎわ立ったことは出来ぬはず。……それで、なんですか、藤右衛門さん、その猫眼の五造という男は弓でもやるのですか」
「へえ、いたします。弓と申しても楊弓《ようきゅう》ですが、五月、九月の結改《けっかい》の会には、わざわざ江戸へ出かけて行き、昨年などは、百五十本を的《い》て金貝《かながい》の目録を取ったということでございます」
「なるほど。……それで桜場清六のほうは?」
「このほうは、大和流の弓をよくいたし、甲府の勤番にいたころ、むやみに御禁鳥を射ころしたので、そのお咎めでお役御免になったというような話も聞いております」
 アコ長は、突っ立ったままで、またしばらく考えていたが、バラリと腕を振りほどくと、
「藤右衛門さん、この土地では、あなたが繩を預かっていらっし
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