んでなど来たら、そばに寄せぬうちに拙者がひとひねりにしてしまいます、安心していまっせ」
 これで、だいたい、段取りがきまったので、ひょろ松は近江屋のところへ行って打ちあわせをし、これでいいということになってお渡御が始まるのを待つ。
 そもそも暗闇祭というのは神霊の降臨は、深夜、黎明が発する直前にあるという古礼によるもので、有名なものでは、遠江見附《とおとおみみつけ》町の矢奈比売《やなひめ》天神の闇祭とこの武蔵府中の六所明神の真闇祭《しんやみまつり》。
 この社は武蔵|大国魂神《おおくにたまがみ》を祀ったもので、そのほかに、東西の六座に、秩父、杉山、氷川などの武蔵国内の諸神を奉斎《ほうさい》する由緒のある宮。
 例祭は五月五日で、前祭として五月二日にお鏡磨《かがみとぎ》祭、同三日には競馬《くらべうま》祭、同四日に御綱《おつな》祭がある。
 やがて子の刻間近くなると、道清《みちきよめ》の儀といって、御食《みけ》、幣帛《みてぐら》を奉り、禰宜《ねぎ》が腰鼓《ようこ》羯鼓《かっこ》笏拍手《さくほうし》をうち、浄衣を着た巫《かんなぎ》二人が榊葉《さかきは》を持って神楽《かぐら》を奏し、太刀を佩《は》き胡※[#「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1−89−79]《やなぐい》を負った神人《かんど》が四方にむかって弓の弦《つる》を鳴らす。
 さあ、もうそろそろ始まるぞと思っているうちに、動座《どうざ》の警蹕《けいひつ》を合図に全町の灯火がひとつ残らずいっせいにバッタリと消される。
 日暮れまではいい天気だったが、夕方から風が出て雲がかかり、星の光も見えないように薄曇ってしまったので、鼻をつままれてもわからないようなぬば玉の闇。本殿から仮宮《かりみや》までの十町の道には、一間幅にずっと白砂が敷いてあるので、道筋だけはようやくわかるくらいなもの。
 いよいよ丑の上刻となれば、露払い、御弓箭《おゆみや》、大幡《おおはた》、御楯《みたて》、神馬《じんめ》、神主を先頭に禰宜、巫、神人。そのあとに八基の御神輿《ごしんよ》、御饌《みけ》、長持。氏子総代に産子《うぶこ》三十人。太古のような陰闇たる闇の中を粛々と進んで行く。神々《こうごう》しくて身もしまるような心持。
 これが、蟻の這うような擦り足で行くんだから十町ほどの道がたっぷり一刻はかかる。お仮屋に御霊遷がおえたころには、早い夏の夜は明けかかろう。
 三人はお仮屋わきの幕屋の中にひとかたまりになっていると、闇の中を手さぐりしながらそろそろと歩いて来たものがある。圧しつけたような忍び声で、
「そのへんに江戸からおいでなすったひょろ松の旦那がおいでではございませんか。おいでになりましたら、どうかお返事を願います」
「ひょろ松はここにおりますが、そういうあなたは、いったいどなたで?」
 声をたよりにズッと捜《さぐ》りよって来て、ひどく息をはずませながら、
「……あっしは、さきほど近江屋といっしょにお眼にかかった二引藤右衛門でございますが、実は、お渡御の道すじに誰か死んでいるようなんで……」
「えッ」
「それも一人や二人じゃありません。五間ぐらいずつ間をおいて、四人まで俯伏せになって倒れているんでござんす。もしや近江屋の一家が殺られたンじゃないかと思いまして、ちょっとそれを、お耳に入れに……」
 ひょろ松は、頓狂な声をあげて、
「藤右衛門さん、そ、それは確かなんでしょうね」
「あっしがさわって見たところでは、確かに死んでおります」
 顎十郎は、口をはさんで、
「まっ暗がりでご挨拶もなりません。あっしは、ひょろ松親分の下廻りの阿古の長太郎というものですが、あなたがおさわりになったというのは、いったい、いつごろのことなンでございますか」
「いつもなにもありゃアしません、ほんのつい今しがたでございます」
「ひとが倒れているというのを、どうしておわかりになりました」
「あっしは後《あと》かため殿《しんが》りの役ですから身内のもの七人と列について、いちばん最後から行きますと、本殿を出て、五丁ばかりも行ったと思うころ、浄杖《きよめづえ》の先になにかさわるものがありますンで、なんだろうと思って捜りひろげて行くと、手ごたえの柔かい、なにかひどく大きなもの。御物嚢《おものぶくろ》でも落して行ったのかと思って、かがみこんで手でさわって見ますと、俯伏せに倒れている人間の身体。……これは、と驚いて、すっと捜って行きますと、盆の窪にのぶかく矢が立っています」
「これは、どうも意外」
「そういうふうにして順々に四人。……どれもみな、ぼんのくぼのところに、同じように矢が……」
「四人とも、ぼんのくぼに?」
「へえ、そうなんでございます」
 顎十郎は、急にひきしまったような声になって、
「その道すじに篝火とか松明《たいまつ》とか、そん
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