、飛んでもございませんこと……」
「ど、ど、どうつかまつりまして」
 加代姫は、片額《かたびたい》に翳《かげ》がさすような、なんとも凄味のある薄笑いをチラと浮かべて、
「遠慮をしないでもいいのだよ。……お出し。……盃を出せ、酌をしてとらせる」
 顎十郎は、とど助の膝をつき、
「とど助さん、こりゃア凄いことになりました。……逃げましょう。こんなところでマゴマゴしていたら、えらいことになります」
 とど助は、眼玉をギョロギョロさせて、
「いかにも! 逃げまッしょう、とてもかなわん」
「いいですか。じャ、ひい、ふう、みいで驀地《まっしぐら》に飛びだすんですぜ」
「心得もうした。じゃア、掛け声のほうを……」
 ひい、ふう、みい……まるで暗闇坂《くらやみざか》でひとつ眼小僧にでもあったときのよう、大きな図体《ずうたい》をしたふたりが、わあッ、と声をあげながら一目散《いちもくさん》に居酒屋から逃げだした。

   毒流し

 秋葉《あきわ》の原の火避地《ひよけち》。
 原の入口に大きな樗《おうち》の樹があって、暑い日ざかりはここが二人の休憩場《やすみば》になっている。
 朝がけに両国まで客を送って
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