ラッと並べてやるから耳の穴をかっぽじって、よく聞いていねえ。……手めえの叔父というのは、武蔵国新井方村《むさしのくにあらいかたむら》の水呑百姓。それが、近ごろ死《ご》ねまして、ちょっとまとまったものを貰ったから、それを資本《もとで》にここで開店いたしましたこの居酒屋、チチン。……へッ、嘘をつけ、唄の文句ならそれでもいいだろうが、そんなチョロッカなことじゃ世間は誤魔化されねえ。……おい、六平、芳太郎さんの眼は節穴《ふしあな》じゃアねえよ。まかり間違ったらひとさまの生眼も引きぬこうというお兄哥さんなんだ。そんなことで蓮台《れんだい》に引きのせようたって、そうはいかねえや。……つもっても見ねえ、この通り羽目は檜《ひのき》の白磨《しろみが》きにして、天井は鶉目《うずらもく》、小座敷の床柱には如輪木《じょりんもく》をつかい、飯台は節無し無垢《むく》の欅ぞっき、板場はすべて銅葺《あかぶき》にして出てくる徳利が唐津焼《からつやき》。……造作だけを見まわしても、どう安くふんでも三百両。……多寡が上州の水呑百姓。喰うものも喰わずに三代かかって溜めこんでも、これだけのものは残せねえ。……なんだなんだ、今さららしくギョッとしたような面をするねえ。……実は、芳太郎、宇津谷峠《うつのやとうげ》の雨やどり、この三百両は按摩《あんま》を殺して奪《と》った金だといやア、おお、そうかと嚥みこんでやる。子供をあやすんじゃあるめえし、上州の叔父が死《ご》ねまして。……ちえッ、笑わせるにもほどがある。手前のような野郎は、嚮後《きょうこう》、友達だなんぞと思わねえから、そう思え」
六平は、いつの間にか片だすきをはずして双膚《もろはだ》ぬぎ、むかしの地を丸出しにして床几のうえに大あぐらをかき、毛むくじゃらの脛をピシャピシャたたきながら、
「こいつアやられた。そこまでお見とおしたア知らなかった。……やいやい、芳太郎、まア、そうご立腹あそばすな。悪気でしたわけじゃねえ。ちょっと曰くがあって、それで出放題《でほうだい》なことを言ったんだから、まア、勘弁してくんねえ」
「勘弁してくれというなら勘弁しねえこともねえが、じゃアその曰くというのを聞こうじゃねえか。……なア、みんな、こりゃアいちばん聞かねえじゃおさまらねえところだ、そうだろう」
「そうだとも、そうだとも」
「やい、六平、吐《ぬ》かさねえと、この屋台へ火をつ
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