なんて言うと恩におきせするようだが、決してそんなんじゃない。いわばこれが手前の道楽。……手前の身状《みじょう》については、叔父の庄兵衛から申しあげたはずですが、なんと言いますか、ちょっと文殊菩薩《もんじゅぼさつ》の生れかわりとでもいったぐあいで、手前がひと睨みくれますと、どういう入りんだ事がらでも即座に洞察《みぬ》いてしまう。実にどうも大したものなんです。ひとつ手前の腕を信用してありようを、ざっくばらんに話していただきたいもんですが」
加代姫は、瞬《またた》かない凄いような美しい眼で顎十郎の顔を見かえしながら、
「それで、わたしに、なにを言えというの」
顎十郎は、閉口《へこ》たれて、
「やア、どうも弱った。さっきからおなじような押し問答。……金をやるのはいいとして、来いといえばあんな下司ばったところへ出かけて行かれたのは、どういう因縁によることなのか、それをお話くださいと申しているのです」
「それは、言われませぬ」
「あなたが、ひと殺しの汚名をきても」
「それは、もう覚悟しております」
「加代姫さま、あなたもずいぶん強情だ。権式高いということは、かねて噂にきいておりましたが、これほど堂に入っているとは思わなかった。……それほどまでのお覚悟でしたら、このうえお願いもうしても無駄。あきらめて引きとりますが、最後に、ひとこと申しあげたいことがあります」
「…………」
「あなたには意外なことかも知れませんが、六平が死んだというのは嘘で、虫の息ながら、まだ息が通っているんです。舌が爛《ただ》れてものを言うことも出来ませんし、無筆だから字で書くことも出来ないから、ほかの人間では手におえないが、手前だけはそいつにものを言わせる方法を知っている。どういうことをするかと申しますと、こちらで、いろは四十八音をのべつ幕なしに唱えかえして、これと思う音のところでうなずかせる。……あなたと六平のあいだにどういう経緯があったか、訊き出すことはわけも造作もないんです。……ところで、こいつをやるとあなたが隠しておきたいことが、いあわす役人や小者どもに明白に知れてしまう。あなたがおっしゃってさえくださるなら、これは手前とあなたのあいだだけのこと、どのようなことであろうと断じて手前はもらしません。……いかがです、加代姫さま」
加代姫は、誦経《ずきょう》でもするように眼をとじて、顎十郎の言うことを
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